都市科学研究会ブログ

都市問題から学問を捉え直す、そんな分野横断型研究会の公式ブログです。

【エッセイ】視覚の相対化に向けて―ロイ・マスタング試論―(著:神無創竜)

 まず、今季スタートした2つのアニメの話から始めることにしたい。一つ目は『げんしけん二代目』である。言うまでもなく本作はマンガ原作のアニメ『げんしけん』の続編にあたる。「げんしけん」は「現代視覚文化研究会」というオタサー(オタサークル)の略称であり、ここに所属するメンバーの日常を描いたものである。ここではこのストーリーではなく「現代視覚文化研究会」という名称に焦点を当てることにしよう。「現代視覚文化研究会」とは原作者である木尾士目の母校、筑波大学に実在するサークルなのだが、なぜ、この名称はオタク系文化を「視覚文化」に限定しているのだろうか。確かにアニメを見たり、マンガを読んだり、エロゲーをやったりする登場人物たちの行動は視覚に依存することになる。だからと言ってオタク系文化を視覚文化に限定するのには無理があるだろう。例えば、声優オタクなら聴覚が、握手会を重要視するAKBオタクなら触覚がそれぞれ重要になってくる。しかし、これらの些細な例外を捨象してオタク系文化=視覚文化とすることに何かしらの本質が隠れているような気がするのだ。

 

 もう一つの作品は『空の境界』である。本作は奈須きのこの小説が原作であり、以前劇場版7部作として公開されたものをテレビシリーズ用に再編集したものである。ヒロインである両儀式はモノの死を読み取ることができる特殊能力「直死の魔眼」を身につけており、人や物の「死の線」が見えるようになる。そして、それをなぞるようにナイフなどで切り裂けば簡単に殺したり、壊したりすることができる。ここでもストーリーではなくこの能力について考えてみよう。視覚を拡張することで新次元の力を手に入れることができるというモチーフは本作以外にも繰り返し扱われてきた。例えば、西尾維新の小説でアニメ化も果たした『刀語』では、主人公・鑢七花の姉である鑢七実が「見稽古」という能力を身につけている。彼女はこの能力により相手の技を二度見ただけで完全に模倣することが可能であり、どんな強敵と戦ってもその技をすぐに覚えてしまうため、物語の中盤まで最強と恐れられることになる。さて、「直視の魔眼」にしろ「見稽古」にしろそれらは目に関する特殊能力を身につけることで戦闘能力を飛躍的に向上させてきた。しかし、普段の生活を考えてみると静体視力や動体視力が人より優れていたとしても何か大きく役に立つということはないであろう。それにもかかわらず、これらの物語には目を強化することで新次元の力を手に入れることができるという幻想が満盈している。

 

 以上、最近のサブカル作品の中で視覚が大きな役割を担っていることを論じてきたが、これはアニメやマンガに限ったものではない。それらはボクたちが普段使っていることわざや故事成語の中に見出すことすらできるのだ。中でも「百聞は一見に如かず」という言葉には聴覚による情報よりも視覚による情報が多いことを、「目は口ほどに物を言う」という言葉には話し言葉による情報よりも目つきや目の動きによる情報の方が多いことをそれぞれ示唆している。つまり、古来、情報を入手するには「目」で(を)「見る」ことが何よりも重要と考えられてきたのだ。

 

 このように目・視覚の必要性を説く物語や言葉はいくらでもあるし、それらは生活の中に浸透している。これに対して、その常識に疑問符を投げかけた人気マンガ『鋼の錬金術師』を取り上げてみたい。本作にも目に関する特殊能力を身につけた登場人物がいる。それが「最強の眼」を持つキング・ブラッドレイである。彼はこの能力によって銃の弾丸すら見切ることができ、よって主人公たちは物語の終盤まで苦戦を強いられることになる。これに対峙するのが「焔の錬金術師」という二つ名をもつロイ・マスタングである。なんと彼はブラッドレイとの戦闘の果てに視力を失ってしまうのだ。この後、別の戦いでブラッドレイは死亡し彼が鎮座していた大総統の席が空くことになる。マスタングは大総統になるという昔からの野心を諦め、その席を自分の上司であるグラマンに譲る。そして、彼自身は「目で見えんなりに私にできる事を考えようと思う」と言い残す。マンガ版の結末はこのようなものであり、仄かな希望を明示するに過ぎなかった。ただ、アニメ版である『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』は少し異なるマスタングを描いている。確かにここでもマスタングは視力を失ってしまうのだが大総統になるという夢は諦めておらず、虎視眈々とその地位を狙おうとするのだ。「最強の眼」を持ったブラッドレイ亡き後、彼が務めていた大総統の地位を盲目のマスタングが目指そうとする、『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』が暗示していたのは目を強化した果てにそれを相対化しようという試みだったのではないだろうか。(ただし、マンガ・アニメ両作ともラストでは人間の命を原料に生成された「賢者の石」によってマスタングは視力を回復したことが示唆されており、その試みが完全に実行されたとは言い難い)

 

 ボクが今、目指そうとしているのもマスタングのような態度である。目の機能を無効化した時に何があるのか、そこにはどんな可能性が隠れているのか、それを考えてみたいと思っている。さて、本稿は何かを主張することに大きな力点を置いていない。もしかしたら読者はそのことに気づいていてイライラしているかもしれない。ただ、ボク自身もこの問題に取りかかりはじめたばかりであり、何かを結論づけるよりも何かに疑問をもつことで精一杯なのである。ここまでの文章はそんな自分の心境がそのまま反映されている。しかし、大きな問題を前に立ちすくむよりは踏み外してでも一歩前へ進むことの方が重要だろう。そこで、ボクが編集長を務める『普通な人』という同人誌で、この問題をテーマに据えた特集を組む予定である。今回、この拙い文章で興味を持っていただいた方は是非ともそちらも読んでいただきたい。

【お知らせ】今までにない、知識共有ツール、近日公開。

アイデアを、つなげる

 

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このツールは、「単語間の関係(=アイデア)」を組み合わせて「モジュール」を作り、

それを複数枚重ね合わせて可視化します。

 

 

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これにより集団内での知識の繋がりと分断を表現する事が可能となります。

  

 

新しい知識を得る興奮を、

 

あなたに、みんなで、いっしょに。

 

 

 

当ツールの情報をこうご期待!!!

【論考】ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの映画における音楽 - 特にドイツ国歌の旋律について

先日アテネ・フランセ文化センターで放映されたハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの映画「ヒトラー、あるいはドイツ映画」(1977年)は、現在人口に膾炙している「ヒトラーもの」「ナチスもの」の映画とは一線を画すユニークな映画である。

奥行きのないハリボテのセットを前に舞台は展開され、役者の独白と演説、それに様々な音楽のコラージュによって成り立つこの映画は、映画と言うよりもまさに前衛オペラであり、ベルトルト・ブレヒトの言う「叙事的演劇」を映画において見事に再現した作品といえる。

ジーバーベルクの場合、中でも特徴的なのは音楽の使用法である。例えば「ヒトラー、あるいはドイツ映画」と同じくジーバーベルクのドイツ三部作を構成する「ルートヴィヒ二世のためのレクイエム」では文字通りルートヴィヒ二世と密接な関係にあった作曲家リヒャルト・ワーグナーの音楽が多用されている。ルートヴィヒ二世を扱った映画ではルキノ・ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」がもっとも有名であるが、両者におけるワーグナー楽曲の演出効果は対照的である。後者はルートヴィヒ二世の夢想した耽美的な世界に則する形で、ワーグナーの楽曲(楽劇"トリスタンとイゾルデ"の前奏曲や「愛の死」など)が有無言わさぬ高揚感と物語の強度を与えているのに対し、前者は「ニーベルングの指環」や「パルジファル」、あるいはワーグナーの中では比較的マイナーな「リエンツィ」の序曲などがコラージュとして多用される。すなわち、舞台を盛り上げ視聴者にカタルシスを与える音楽(としてのワーグナーは一級品であるにも関わらず)としてではなく、あくまで(ブレヒト的文脈に従えば)「異化効果」を視聴者にもたらすための装置としてワーグナー楽曲が使用されているのである。ワーグナーに馴染みのある視聴者なら、ある意味当然の焦れったさを感じる。せっかく行進曲風に盛り上がっていくぞ、という瞬間に音楽はバチンと断ち切られ、間断なくまた別の音楽が流れる、という場面を繰り返すのだから。

そうした「ルートヴィヒ二世のためのレクイエム」の音楽で例外的だったのは、全編通してクライマックスのみ。ルートヴィヒ二世のご尊顔を微動だにせずクローズアップし、楽劇"ラインの黄金"の「ワルハラ城への神々の入場」が壮大に奏でられ、幕が閉じる。しかし、このクライマックスは視聴者に有無言わさぬカタルシスをもたらすだろうか。むしろ極めて皮肉的で、キッチュであるといえないだろうか。そう、ジーバーベルクはワーグナーの楽曲が内在しているシニカルさやキッチュさこそ前景化し、それをルートヴィヒ二世の(恐らくは)死に顔とシンクロさせたのである。テオドール・アドルノワーグナーの音楽の崇高さと陶酔の裏に孕む「いかがわしさ」を徹底して検証して見せているが(「ヴァーグナー試論」作品社、2012年)、ジーバーベルクもまた、ワーグナーならびに後期ドイツロマン主義のそうした崇高さの果てにある「俗悪さ」を見事にあぶり出そうとした。

「ヒトラー、あるいはドイツ映画」 においても、ジーバーベルクの音楽はこのように常にクリティカルであるが、中でも驚嘆すべきはここで多用される音楽が、ワーグナーやナチス時代の軍歌ではなく、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲した弦楽四重奏曲第77番「皇帝」の第2楽章主題、すなわちドイツ国歌の旋律である点である。実際、ワーグナー楽曲やバーデンヴァイラー行進曲、ホルスト・ヴェッセルの歌など、ヒトラーないしナチスもの「テッパン」の音楽も多々引用されるのだが、それ以上の圧倒的な回数で用いられるのがドイツ国歌なのである。

重要なのはドイツ国歌の音楽が、極めて複雑な経緯をたどりつつも、現在のドイツでも正式に国歌として採用されている点である。ドイツ国歌は当初、18世紀末にイギリス国歌の美しい旋律を耳にして感銘を受けたハイドンが、ドイツにもこのような愛国心と民族主義を顕揚する歌が必要であると思い立って作曲し、時の神聖ローマ皇帝フランツ二世に献呈した作品。当初は「神よ、皇帝フランツを守り給え」で、歌詞もフランツ二世を称えるものであったが、オーストリア帝国の国歌として以後第一次大戦の敗北でオーストリア=ハンガリー帝国が解消するまで国歌として採用された。

それとは別に、19世紀中頃からフランクフルト国民議会などを通してドイツ統一運動が盛り上がりを見せ、その運動の象徴となる歌として詩人のアウグスト・ホフマンが同曲に別の歌詞をつけた。これが1番から3番にまでなる「ドイツ人の歌」、後のドイツ国歌である。正式にドイツ国歌となったのはヴァイマール共和国が成立してからだが、その歌詞からこの曲がドイツ統一運動、特に大ドイツ主義のシンボルとして、重要な位置を占めてきたことがわかる(以下、Wikipediaより1番歌詞引用)。

 

ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ
護るにあたりて
兄弟のような団結があるならば
マース川からメーメル川まで
エチュ川からベルト海峡まで
ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ

 

登場する地名は、建設されるべきドイツ人国家の東西南北の国境であり、ドイツ人の住むすべての土地を意味するが、現在のドイツ国境とはもちろん大きく違うし、一度もドイツに領有されなかった地域もある。いずれにせよ、ドイツ民族の統一国家建設運動、中でも大ドイツ主義の理念が歌詞の中に典型的に表されている。 ナチス時代のドイツにおいても、この歌詞は正式な国歌として採用されていた。

戦後になってこの歌詞がナチスの覇権主義を想起させるとして禁止され、新しい国歌の作成なども模索された(暫定的にベートーヴェンの「歓喜の歌」を採用していた時期もある)。しかし「新生ドイツ」にふさわしい曲はなかなか決まらず、結局同じ「ドイツ人の歌」の第3番の歌詞が温和で戦後民主主義体制にもふさわしいとされたため、曲は変わらずに歌詞のみ変わる、という特殊な事態となった*。現在ドイツ国歌として正式に認められているのは「ドイツ人の歌」第3番のみである(以下、Wikipediaより3番歌詞引用)。

*一方共産圏で独立した東ドイツは一から新国歌を制定し、ハンス・アイスラー作曲の「廃墟からの復活」が国歌となった。アイスラーは新ウィーン楽派のアーノルト・シェーンベルクの高弟でありながら共産主義運動に参加し師と絶縁、無調音楽を捨てブレヒトの舞台音楽を作曲するなど、音楽における社会運動の実践を行った。アイスラーとジーバーベルクはともにブレヒトに影響を受けた人物として好対照で興味深い。

 

統一と正義と自由を
父なる祖国ドイツの為に
その為に我らは挙げて兄弟の如く
心と手を携えて努力しようではないか
統一と正義と自由は
幸福の証である
その幸福の光の中で栄えよ
父なる祖国ドイツ

 

このように、ドイツ国歌は極めて複雑なプロセスを経て、現在も正式なドイツの国歌として歌われ続けている。そのため、本来このドイツ国歌に戦前のヒトラー・ナチス的なものを投影することは珍しいのである。確かに1番の歌詞のみならそうした文脈に沿うだろうし、逆に言えば現在でもドイツの周辺国からは1番の歌=ドイツ民族主義というイメージが根強くある。しかしジーバーベルクの映画では、このドイツ国歌が他のどんな曲よりも突出して多く引用されるし、合唱版、オーケストラ版、室内楽版、と様々なアレンジで執拗なまでに繰り返し奏でられる。もはや1番であろうが3番であろうが、そもそも「ドイツ国歌」であろうが何であろうが、この旋律はこの「ヒトラー、あるいはドイツ映画」という映画にみっちりとこびり付いているのである。

ジーバーベルクは、このドイツ国歌を用いて、巷でいう戦前と戦後の「断絶」という物語を徹底的に粉砕しようと試みたのではないだろうか。劇中様々な箇所で、ジーバーベルクはナチス的なるものないし後期ドイツロマン主義的なるものの末裔が戦後も形を変えて脈々と受け継がれていることを示唆している。それは「軍靴の音が再び・・・」的な左翼的批判としてではなく、より根源的に、ドイツロマン主義の末路とは何かを問うているのである。

戦前とは「断絶」した戦後民主主義体制の側から、ナチスに対して距離化を計り、ナチスを客体化して「断罪」してしまう戦後の知的エリーティズムを、ジーバーベルクは徹底批判している。だからこそジーバーベルクはドイツロマン主義の側に内在して、戦前と戦後を一貫するものの正体をあぶり出そうとした。そしてそれは、ナチスドイツの敗北、ヒトラーの地下室での拳銃自殺ではない、もう一つのドイツロマン主義の終焉を描くことになったのではないだろうか。

そうしたパラレルワールド的想像力を現実世界への告発として機能させる紐帯が、ドイツ国歌のあの旋律であったのではないか。悪夢にでも出てきそうなほど延々と繰り返されるドイツ国歌。もはや歌詞も旋律もそのすべての意味と文脈を剥奪され、素っ裸にされたドイツ国歌。それでもなお、この曲がまとってきたドイツ人の民族意識は無意識から引きずり出される。永遠に染み付いて取れない、ドイツ民族の無意識。この素っ裸のハイドンの音楽こそ、戦後民主主義体制が蓋をしてきた「戦前と今」の連続性を曝け出す装置だったのだ。

 

 

都市科学研究会主催交流会開催のお知らせ【変更あり】

こんにちは、都市科学研究会です。

秋色も次第に深まりつつある今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さてこの度、当研究会で日頃よりお世話になっている皆様との交流会を開催する運びとなりました。

詳細につきましては、以下の通りとなります。

 

【日時】

2012年10月15日(月)、19:00~

【集合場所】

東京メトロ丸ノ内線本郷三丁目改札前(18:40集合)☜変更点です!

【会費】

とりあえず3000円

【内容】

飲み放題(食事は各自自由)

 

ご参加を希望される方は toshikagakuken@gmail.com までメールをお送り下さい。

以上、皆様のご参加を心よりお待ちしております。

【エッセイ】一人称の都市経験をめぐって(筆者:まつとも @matchamttm)

私たちは都市をどのように経験しているのか、という問いはあまりにも漠然としている。「都市」という言葉自体が広がりを持ちすぎているということが大きな要因だろう。そもそも都市は、経験の対象になるような確固とした輪郭を持つものとして考えられていただろうか。

 

Wikipediaでは、「都市」はこのように記述されている。

 

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都市についての国際的に統一された定義はない。都市は、機能的には居住地域、工業地域、商業地域からなる。中心部には官衙や事務所、商業施設が集中する地域、たとえば都心、中央業務地区(CBDcentral business district)があり、その周辺に都心住宅地(インナーシティ)や工業地域が、更に外縁に郊外が形成される。

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ここでは、都市のいくつかの様態や条件のようなものが提示されているが、それはあくまで暫定的なもので、統一された定義は存在しないと述べられている。

 

とはいえ、そもそもここで問うているのは客観的で厳密な定義ではない。本稿が提示したいのは、人々は一般的にどのように都市を捉えているのかという問いだ。

 

都市は、規模も形式も雰囲気も様々ではあるが、人が人のために作ったものであるという点ではすべて共通している。色々な立場の人々が、日々都市を訪れている。定住して暮らしている人もいれば、何らかの目的を果たすため、あるいは生業のために都市へと足を運ぶ人もいるだろう。人にとって都市は手段でもあり、環境=自然でもある。

 

つまり、都市を考えるということは、そこで生きている「人」を考えることにも繋がるのである。都市は、人との関わりによって規定されている。これは当然といえば当然のことであるが、しかしこのことによって問いの形は少しだけ変わることになる。

 

冒頭で提示したのは、人が都市をどのように経験しているのかという問いだった。都市が都市としての同一性を形成するのは、人の経験のなかにおいてである。つまり、問われているのは私たちの「都市経験」あるいは「都市表象」とでも呼ぶべきようなものの在り方なのだ。

 

 

人々がどのように都市を経験し、表象してきたかという点については、文学や文化史の中に事例を見出すことができる。例えば中世の記憶術の伝統のなかでは、都市はイメージと概念を結びつける場所(ロキ)として扱われている。あるいは、筆者の専門のフランス文学のなかでは、ゾラやボードレールらが近代都市としてのパリや、そこに集う群衆の姿を見事に描き出し、都市の生態系のようなものを浮かび上がらせている。

 

日本においても、都市に結びついた心性を解き明かすような成果が数々存在する。鈴木博之の『東京の「地霊(ゲニウス・ロキ)」』、田中純の『都市の詩学』、中沢新一『アースダイバー』などがその例であるが、これらに共通するのは、都市という場所が持つ「記憶」と、それを人々に想起させるための様々な「徴候」についての深い洞察である。

 

上記のような研究がいわゆる人文系のアプローチのものであるとすれば、近年盛り上がっているもう一方のアプローチは、認知科学的アプローチと呼べるだろう。人間の空間認識・物体認識の能力を解き明かすことで、都市経験の内実を明らかにしていこうという研究である。邦訳で、専門知識なしに読める一般書としては、コリン・エラード『イマココ 渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』などがある。

 

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これらの研究から考えられることは、都市という現象の構成要素には、2つの主要なパートがあるということである。一つは、都市を物理的に構成するオブジェクト。もう一つは、人間の認識能力や想起能力である。

 

改めて冒頭の問いへと戻りたい。私たちの日常的な経験では、「都市」はどのように表象されているか。その仕方には、いくつかの種類があるように思える。

 

たとえば、俯瞰的に都市の全貌を収めた航空写真や衛星写真のようなビジョン。あるいは、都市計画の図面・設計図。あるいは地図。これらは、客観的な視点からの都市像である。

 

そしてまた、私たちが毎日道路を歩きながら目にしている風景も、紛れもなく都市像の一つであろう。電車の窓やビルの窓から眺める風景でも構わない。これらは主観的な、一人称的なパースペクティブからの都市像である。

 

地名、マスコットキャラクター、歴史的な建造物や象徴的なオブジェといったようなものも、都市の表象といえるかもしれない。記憶としての都市、表象としての都市は、もちろん私たちの脳内にしか存在しないものだが、そのような表象が立ち現れうるのは、オブジェクトとしての都市が徴候として、契機として機能しているからである。

 

このように、都市は様々なパースペクティブから眺められ、経験され、表象される。「都市そのもの」の実体は私たちには捉えることができないか、あるいはそもそも存在していない。確かにあるのは、都市を物理的に構成するオブジェクト群と、そこから私たちの認識能力を通じて与えられる何らかの都市経験だけである。

 

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いかにして、私たちは都市のオブジェクトから都市経験を引き出すことができるのだろうか。以下ではその問いに接近するための概念装置を提示していきたい。

 

オブジェクトとしての都市は、だいたい以下の5種類の構成要素によって成り立っている。

 

パス:道路

ノード:結節点、人が集まるところ

リージョン:区域

バウンダリー:境界、川や線路など

ランドマーク:目印、象徴となるような建物、建築物、物体

 

これらの分類もまた、人が物理的都市を言語や記号によって解釈した理念的なものにすぎない。

とはいえ、そもそも都市は人が設計図に則って構築した人工環境なのだから、ある程度は人為的解釈にも耐えうるだろう。人工物でありながら、生態系や自然環境のような生成消滅を行うというところが都市の魅力なのである。

 

次に、上記のように記述される物理的現実を、私たちがいかに認識するかということについて考える。

 

認知科学の都市論には、「メンタルマップ」(認知地図)という概念がある。文字通り、人間が形成する空間像のようなものだが、通常の地図とは異なる特徴を持つ。さきほど、地図や設計図を客観的な視点からの都市像だと述べたが、そこでの「客観的」が意味することは、物理的な距離が正確に表現されているということである。

 

対してメンタルマップは、正確な距離をほとんど表象していない。

たとえば、自分の通う学校と、学校の最寄り駅との位置関係を思い浮かべるときの仕方を考えてみよう。おそらく、直接に正確な方角や距離を示すことは難しいだろう。まず先に思い浮かべるのは、たとえばそこへと辿り着くまでの(普段よく使用する)道順であるとか、近くにある目印となるような建物との位置関係であるとか、そういった間接的な手がかりであるはずだ。

 

さらに、学校から一番近い書店との位置関係を思い浮かべるとしたらどうだろう。その書店に通いなれているかどうかでだいぶ想像しやすさが変わってくると思われる。いずれにせよ、まず周囲の風景を想像し、大きい道路や道順からだいたいの方角を確認しつつ、俯瞰図を脳内でつくってみる、といったようなステップが必要になるだろう。

 

メンタルマップは形成された習慣に近い性質を持っている。目的地へと向かって移動するという主観的な経験の積み重ねが、メンタルマップの形成を支えているのである。そのさいに手がかり(徴候)となるのが、さきほど挙げた都市の5つのオブジェクトだというわけだ。

 

もちろん、メンタルマップは他の俯瞰的・客観的・多角的な視座とすりあわせを行ないながら訂正してゆくことができる。例えば筆者のような方向音痴にとっては、グーグルストリートビューで目的地の風景を予め確認してから外出したり、出先でスマートフォンのマップを用いたりすることでメンタルマップを補強・修正しなければ、初めて訪れる都市を迷わずに進むことは難しい。主観的な位置関係と客観的な位置関係を照らし合わせつつ、頭のなかに地図を作っていくのである。

 

もちろん、何度も何度も通いなれた街のメンタルマップは、それだけ強固なものとなる。オブジェクトのだいたいの位置関係を把握し、どこにでも辿り着くことができる。それが、その都市のマップの完成基準といえるだろう。

 

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都市をめぐる経験は、これまで述べてきたようなメンタルマップの仕組みに規定されている部分が大きいだろう。メンタルマップとはいわば、プラグマティックな都市イメージであり、イメージ形成の成否の基準は「どこへでも辿り着けるかどうか」、つまり自由に歩き回れるかどうかなのである。

 

距離や配置を客観的に描いた地図のみでは、私たちの意識は都市の像をうまく結ぶことが出来ない。初めて訪れる街では、とにかくパスを歩き回り、ノードから周囲を眺め、ランドマークを見つけて回ることが重要だ。そして、一人称のパースペクティブから都市をぐるぐるとめぐって徴候を拾い集めていき、手元の地図と照合していく。ばらばらで断片的な徴候が、頭の中で互いの位置関係を規定しあい、だんだんと像を結んでいくだろう。そのようにして出来上がっていくメンタルマップ(都市像)が複雑極まりない都市の姿をそのままに写し取っているように感じられたとき、確かに、都市はそこで「経験」されているのである。

 

歩くのが楽しい都市というのがある。都市の側の物理的な在り方が、そこを歩く人々にスムーズに都市像を結ばせるようなものになっているのだろう。もちろん、歩く我々の資質も問われている。都市が提示するオブジェクトという手がかりを目ざとく拾い集め、都市経験を豊かにしていくことができる者だけが、都市の遊歩者と呼ばれるにふさわしいはずだ。都市の経験とは、都市と人々の闘争の産物でもあるのである。

 

「都市に陶酔する遊歩者とは、そんな獣的官能を備えた巧みな発見者である。」(田中純『都市の詩学』、p98

 

 

参考文献

本文中で取り上げた話題に対応する書籍を一冊ずつ紹介する。

 

・中世の記憶術と都市の表象の関係

ライナルド・ペルジーニ『哲学的建築理想都市と記憶劇場』、伊藤博明・伊藤和行訳、ありな書房、1996年。

・都市と記憶に関する人文系アプローチ

田中純『都市の詩学場所の記憶と徴候』、東京大学出版会、2007年。

・都市と認知科学

コリン・エラード『イマココ 渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』、渡会圭子訳、早川書房2010年。

都市科学研究会研究集会について

こんにちは。都市科学研究会です。

 

本研究会では、9月9日(日)に東京大学本郷キャンパスにて研究集会を行います。どなたでも参加できますので、ぜひご参加ください。

 

1.詳細日程

日時 9月9日(日)

場所 東京大学本郷キャンパス教育学部棟265教室(地図はこちら

時間 14:30~17:30

参加資格:特になし

参加費用:特になし

 

2.参加申し込み

参加なさる方は、以下の連絡先に氏名、所属、連絡先を明記の上、メールをください。添付ファイルはつけないようにお願いします。

toshikagakuken@gmail.com

 

3.研究集会タイムテーブル

14:20 東京大学本郷キャンパス赤門前集合

 

14:30 研究集会開始

 

14:40 基調発表『都市科学という学問とその展望』(発表25分、質疑15分)

 

15:20 学位論文構想発表会(一人発表15分、質疑5分)

 

17:30 閉会の挨拶

 

☆時間が変更になっております!ご確認をお願いします。 

 

4.研究報告について

今回の研究集会は、皆さんの研究構想を発表して頂く事を目的としております。

当日発表を希望される方は、以下の規定にしたがってご発表下さい。

 

①発表時間は、発表15分質疑応答5分です。

②発表形式は、プレゼン形式にてお願いします。PowerPointもしくは配布用レジュメを作成して下さい。

③特殊な機材を使用する場合は、事前にご連絡下さい。要相談の上で検討させて頂きます。

 

発表を希望する方は、当研究会のメールアドレス( toshikagakuken@gmail.com )まで「氏名・所属・連絡先・発表内容の概要」を記載の上、メールをお送り下さるよう、お願い申し上げます。

 

【論考】アドルフ・ロースから考える“モダン”ファッション -建築、ファッション、装飾- (小原和也/弁慶 @xxbenkeixx)

———装飾は犯罪である。

 19世紀から20世紀への世紀転換期のオーストリア、ウィーン。

 ウィーンにおける装飾論を語るうえでキーパーソンとなるのは、間違いなく建築家アドルフ・ロースAdolf Loos,1870-1933年)である。ロースは、建築家であるにとどまらず、文筆家として文化批評などもさかんに行い、アルノルト・シェーンベルクなど多数の作曲家・芸術家のパトロンを引き受けるなど、華やかな文化活動を行っていた。

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(図1)アドルフ・ロース

 今回は、建築家でもあり、ファッション道楽としても有名であったアドルフ・ロースの取り組みを概観するなかで、“モダン”な建築がどのように目指され、またそのようなモダンな時代を迎えるにあたって““モダン”なファッションとは、どのようなものであるべきだと考えられていたのか、を示していきたい。

 建築家としてのロースは「芸術は必要にのみ従う」という機能主義の考えを提唱したオットー・ワーグナーも参加した芸術家コミュニティであるウィーン分離派の影響を強く受け、19世紀の過剰なまでに装飾を施したいわゆるルネサンス建築や、古典主義建築からの脱却をはかるために、装飾性を可能な限りそぎ落としたモダニズム建築の先駆的な作品を多数手掛けている。

ルネサンス建築や古典主義建築は、その崇高さや荘厳さ、という点において華美なまでに装飾を施した建築が多いことで知られている。しかし、その装飾は何かの機能性を兼ね備えたものであるか、という点については、疑問が多く残るデザインが施されていた。

 いわゆるモダン・デザイン以後の時代に生きるわれわれにとっては、装飾のないデザインこそが何の違和感もなく「モダン」かつ身近で、殊更に装飾性に対して闘うといった必要性に駆られることはないだろう。従って、われわれにとっては近代建築を支えてきたユートピア思想、古典派建築が全盛であった時代状況において、その装飾性を断罪することの困難さは想像し難いものである。そのような状況において、冒頭に引用した断罪や、「文化の進歩とは日常使用するものから装飾を除くということと同義である。(Adolf Loos,2005)」という痛烈な指摘からも伺える通り、ロースの思想は一貫して、従来の華美なまでの装飾性を削ぎ落とし、機能主義的な観点からデザインや文化を再興するものであったと言える。

 

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(図2)ミヒャエル広場前に建設されたロースハウス

 華美なまでの装飾性を断罪し、削ぎ落とすと言うことは、その装飾物が持ち得たデザイナーしかり、その表現物のもつ特有の顕名性を解体することと同義である。このように装飾におけるデザインをその匿名的な側面、機能性へと還元する試みが、ロースの装飾論の本質であるといえよう。

 このようなロースの機能主義的なデザインや設計に対する考えは、ファッションにおける装飾とモダンファッションの関係性を考えるうえで、非常に重要な示唆を与えてくれる。

 建築家ロースは、ファッション道楽としても有名であった。ウィーンで最高の仕立屋の上客であるばかりか、わざわざロンドンから高級紳士服を取り寄せることもあったという。

 19世紀のファッションは、ファッション不遇の時代として知られている。壮大で量感豊かなバロック期の意匠が、繊細で軽やかなロココ様式の色彩模様へと変化は遂げていくなかで育まれた18世紀のその華美な装いとはうってかわって、産業革命を契機に急激にその様相は一変した。大量の既製服が製造され、安価で画一的な服が手に入るようになりつつあった。しかし、衣料産業が完全に工業化に推移するにはもう少し時間がかかったため、まだ仕立てによるファッションが主流ではあったが、大量生産の服は一人一人の身体に合った仕立てやデザインの多様性が犠牲にされて、次第にその様相は画一的にならざるをえなかった。

 このような時代状況に生きたロースは、画一化にむかうファッションの状況にあって、19世紀末から20世紀における「モダン」への移行期にあった社会において服装を“正しく装う”ことが肝要である、という考えを示している。ここでいうファッションを“正しく装う”ということは、どのような事態を指すのであろうか。そんなロースはファッションにおいても、華美な装飾性を拒否する思想を一貫している。

 ロースの文化批評である「紳士のモード」という論考の中でロースは「ある服装が今日的であるということは、文化の中心の最上級社会において、その時々に応じ、可能な限り目立たない場合においてである。(Adolf Loos,2005)」といった指摘を行っている。

 この指摘には、ロースの「モダン」なファッションに対する考え方が如実に現れている。というのも、このモードを煽動する人たちのファッションは、決して華美で装飾的であってはならない。装飾的に目立つ装いをするだけでは、本当の意味で社会的な地位の高い人間であるとは言えないし、そのような装いは本当にお洒落な人間とは言えないのである。

 つまり、お洒落であるということは同時にただ装飾的であるということを指すのではなく、いかにその装いの装飾性を削ぎ落とし、正しく仕立てられた服装をいかにして身に纏うか、という出来事として捉えるべきなのである。この考え方は先ほどロースが建築に対して行った断罪と同じである。ただ単に大量生産の画一的なファッションへと移行する中で、その違いを見せつけるためにただ目立つ洋服を仕立てればいいというものではない。しっかりと、機能的に洗練された技術を持ち合わせた仕立屋において、華美な装飾で仕立て上げることもなく、正しい装いに仕立て上げることがファッションにおいても重要となる。

 さらにロースはこうも言い切る。「装飾がないということは、精神的な強さのしるしである。近代人は、自分が適当と思えば昔の文化や他民族が作り出した装飾を利用すればいい。近代人とは、自分の創意・工夫を他のものに集中するものである。(Adolf Loos,2005)」

つまりこういうことだ。ただ享楽的に、華美に自己を飾り立てることはせず、その洗練された技術・機能に忠実に、正しく装うこと。その先にある獲得される自己と、その自己に見合う“正しい”装いを行うことが、本当のお洒落であり、モダンなファッションとして考えられていたのである。

 

 

 

 

【参考・引用文献】

「アドルフロース著作集1虚空へ向けて』」: Adolf Loos:加藤淳編集出版組織体アセテート,2012

装飾と犯罪建築文化論集: Adolf Loos:伊藤哲男 中央公論美術出版,2005

「ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで」:ブランシュ・ペイン:古賀敬子 八坂書房,2006

 

【引用図】

(図1)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

(図2) http://ouchiyama.exblog.jp/14643562/