都市科学研究会ブログ

都市問題から学問を捉え直す、そんな分野横断型研究会の公式ブログです。

都市科学研究宣言(H24.4.14)

現代社会で「知」は今まさに息絶えんとしている。誰が殺そうとしているのか?それは、我々自身だ。

 このブログを読んでいる貴方達に問いたい。

 貴方達が考える「知」とは、一体何処に存在するのだろうか?そして、それは一体どのように存在しているのだろうか?多くの人は「知」の在り様について語る時、学校で習った「知識」や、本で読んだような「知見」を語る。しかし、我々が表現可能な、分かりやすく言うならば語る事の出来る「知」とは、はたしてそれだけなのだろうか?もっと言うならば、それは本当に我々にとっての「知」なのだろうか?

 他方、我々の生きる現代社会には様々な問題が存在する。少子化問題、格差社会、少年犯罪、過密化過疎化、政治の失墜、経済の停滞、失業問題、原発事故etc……挙げていけばキリがない。それらの問題は日々あらゆる場所で語られる。しかし、それらの問題に対して、我々はほとんど決定的な解決の糸口を見つけていない。このような現状下において、我々は停滞の社会を生きているように思われる。しかし、本当にそうなのだろうか?停滞している事は事実である。しかし、何故停滞しているのか、それが分からないのである。このような行き詰まりの中では、我々の生きる現代社会の表現型である都市には、ただ議論だけが積み上がっていくばかりである。

 

■都市を考える。これが足りなかったのではないだろうか。

 私達は議論の末、上記に挙げた問題点に行き着いた。言うまでもなく、都市は多元的に構成されている。とすると、都市とは人間が集まって出来たという意味以上の「何か」を内包した存在であるとも言えないだろうか。それは人間・生命・環境・システム・生態系・建築・文学・批評・文化・政治経済といった、実に多種多様な視点から見渡す事が出来る。それらは一つ一つが都市という生きた現場において躍動しており、そのような活動は人間が意識的であれ無意識的であれ、日々の営みの中で行っているものである。そこには、学窓から眺める事の出来る「知識」や「知見」だけではない、まさに人間を超えた秩序が成り立っている。

 

社会の余白の中で行われる語られる事のない「禁じられた遊び

これから母になる者を襲う身体の「動揺」

闇夜を疾走しゴミを漁る「ネズミ」の群れ

統一された秩序なく生える「摩天楼」

人の輪を見て人を見ない文学者の「戯れ」

死にゆく言葉に死を与えない「洗練」された者達

ごく少数の人間によって作り語られてきた「歴史」

ホームレスと若者と労働者が織りなす「異質さ」

ある日突然訪れる「恐慌」

 

 ここに挙げた種々の現象を、一体どのようにして人間は把握しえたのだろうか?今までの学問は、これらを捉える事が出来ていただろうか?これらをまとめている秩序は、人間の仕組もうとする意図とは裏腹に勝手に起こっているものなのである。

 

■問題は、何でも説明できると考えてしまっている私たちの傲慢ではないのか?

 都市で起こっている事象の総体、それこそがまさに秩序である。学窓からは捉える事の出来ない、日々変わりゆくものなのである。少し考えてもみてほしい、今の東京が50年前のそれと同じだろうか?大阪がこの20年間で何も変化しなかっただろうか?変わっていく社会の随で、どうして昔と同じ仕組みが通用するのだろうか?そして、どうして「知識」や「知見」を支える学問ばかりが問題を解決出来ると考えられているのだろうか?

 もうそろそろハッキリと断言しよう。都市の多元的なリアリティを捉えるには、「知識」や「知見」だけでは不可能なのだ。そしてそこには、今まで言葉にしえなかった「知」が存在している。

 

「知」を改革しよう。「知識」や「知見」を作り替えよう。

都市という捉えがたい宇宙の中で生きる「わざ」を作ろう。

そのために我々は、様々な「知」を交差させ、共有出来るようにしていこう。

私達「都市科学研究会」は、そのような営みを分野を横断し、かつ在野・現場・学窓といった出自・所属の如何を問わず、今後展開していく所存である。