都市科学研究会ブログ

都市問題から学問を捉え直す、そんな分野横断型研究会の公式ブログです。

【エッセイ】情報について(筆者:ぽりーぬ)

1.

今日私がお話ししたいと思うのは、何冊かの書物とフィールドワーク、具体的には、書 物が理論、フィールドワークが実践と定義するのではなく、理論という実践についてお話 しできればと思います。そこで、取っ掛かりとして、都市に関する本と都市を舞台にした 小説を読むわけですが、調べれば調べるほどますますわからなくなる。作業過程で気づい たのですが、都市小説を論じた書物って、ことごとく都市論なんですよ。『メディア都市パ リ』『ドストエフスキーのペテルブルグ』、あるいは部分的にせよ『フーコー 思想の考古 学』も例外ではないと思います。どれも面白いのですが、サワリをがっつり撫でると『メ ディア都市』はマーケティング=言説市場分析、『ドスペテ』は都市文学論と言ったところ でしょうか。『思想の考古学』には 17 世紀ヨーロッパの主要都市で「街路照明」が義務付 けられたという記述があります。街灯を設置するのは可視化(犯罪抑止)の為ですけど、 これに反撥する人はいませんね。景観を損なうとか文句を言う人はいるわけですが、もと もと野原や森だったところを整備したのですから、整備されている限りにおいて、景観を 損なうと文句が言える。逆に、馴染みのコンビニが野原に戻っていたら、哀しいでしょう。

2.

北総線という CM やドラマのロケーションによく使われる路線がありますが、人がいま せんね。運賃が高いからです。私はバイトの面接で利用した事がありますが、往復すると 交通費支給込みで労働賃がほとんど残らない、そういう交通機関です。運良く面接は落ち ました。沿線に喜久屋書店という、品揃えが豊富な本屋がありまして、一時期通っていま した。立ち読み出来るという利点が大切なのです。ゴダール『映画史』が最近文庫化され ましたが、ハードカバー版をそこで読みました。読んだと言っても全部じゃないですよ。 いまだに読んでいません。思うに、そういう本じゃないのです、これは。≪私はいつも引 用ばかりしてきました。ということはつまり、私はなにも創出しなかったということです。 私はいつも、本で読んだりだれかから聞いたりした言葉をノートに書きとり、そのノート を手がかりにして見つけたいくつかの事柄を演出してきたのです。私はなにも創出しなか ったのです≫i。何も思い浮かばなければ、盗めばいい。そういう本じゃないとはそういう 意味です。と言っても、必ずしもその意味だけではありませんよ。私が個展を開くとして、 鑑賞者に逐一「私の作品はどうですか?」と尋問したくはありませんし、あいつは何のメ ッセージを発信してるんだとも言われたくありません。

3.

孤独? 孤独でしょう。私の書いたものを支離滅裂だとか、ヤマ場が無いとか評した人 たちがいますが、そうじゃないのです。その人たちは「これはストーリーではない」と言 うべきだったのです...... それに、私は今ではそれほど気にしなくなっています。情報を 遮断していますから。ニーチェは書いています、≪ハエたたきとなることは、きみの運命ではないのだ≫iiとね。そのように生きることを私は選んだ。誰の言う事も聞かないと言う 訳ではありませんよ。実際に出会った人たちから学んだのですから。twitter なら twitter で......というか、どこでもそうですが......人を見てしまう。これは慣れてしまった人の反 応だと思います。つまりコンテンツとして消費し尽くした。あとは情報の送受信をしなけ れば「ならない」という、何の根拠もない義務感に動かされるのです。私も例外ではない でしょう。しかし、それでも。ジル・ドゥルーズは≪〈情報を与える〉〔informer〕という のは、ひとつの命令を流通させるということなのです≫※ⅲと言っています。命令だとわかっ ているなら、それを無視するという正当な要求も成り立ちます。無知でいいではないです か。唯唯諾諾と命令に従うなんてみっともないですよ。情報を、命令を最も効率よく集め た者が勝者だなんてクソゲーじゃないですか。だからこう言っておきます。マジ勘弁。

※i ゴダール 映画史 (全)』奥村昭夫訳,ちくま学芸文庫,2012,p.416

※ii フリードリッヒ・ニーチェ,吉沢伝三郎訳『ツァラトゥストラ 上』ちくま学芸文 庫,1993,p.95

※iii ジル・ドゥルーズ,宇野邦一監修,廣瀬純訳「創造行為とは何か」『狂人の二つの体制 1983-1995』河出書房新社,2004,p.189