都市科学研究会ブログ

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【論考】ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの映画における音楽 - 特にドイツ国歌の旋律について

先日アテネ・フランセ文化センターで放映されたハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの映画「ヒトラー、あるいはドイツ映画」(1977年)は、現在人口に膾炙している「ヒトラーもの」「ナチスもの」の映画とは一線を画すユニークな映画である。

奥行きのないハリボテのセットを前に舞台は展開され、役者の独白と演説、それに様々な音楽のコラージュによって成り立つこの映画は、映画と言うよりもまさに前衛オペラであり、ベルトルト・ブレヒトの言う「叙事的演劇」を映画において見事に再現した作品といえる。

ジーバーベルクの場合、中でも特徴的なのは音楽の使用法である。例えば「ヒトラー、あるいはドイツ映画」と同じくジーバーベルクのドイツ三部作を構成する「ルートヴィヒ二世のためのレクイエム」では文字通りルートヴィヒ二世と密接な関係にあった作曲家リヒャルト・ワーグナーの音楽が多用されている。ルートヴィヒ二世を扱った映画ではルキノ・ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」がもっとも有名であるが、両者におけるワーグナー楽曲の演出効果は対照的である。後者はルートヴィヒ二世の夢想した耽美的な世界に則する形で、ワーグナーの楽曲(楽劇"トリスタンとイゾルデ"の前奏曲や「愛の死」など)が有無言わさぬ高揚感と物語の強度を与えているのに対し、前者は「ニーベルングの指環」や「パルジファル」、あるいはワーグナーの中では比較的マイナーな「リエンツィ」の序曲などがコラージュとして多用される。すなわち、舞台を盛り上げ視聴者にカタルシスを与える音楽(としてのワーグナーは一級品であるにも関わらず)としてではなく、あくまで(ブレヒト的文脈に従えば)「異化効果」を視聴者にもたらすための装置としてワーグナー楽曲が使用されているのである。ワーグナーに馴染みのある視聴者なら、ある意味当然の焦れったさを感じる。せっかく行進曲風に盛り上がっていくぞ、という瞬間に音楽はバチンと断ち切られ、間断なくまた別の音楽が流れる、という場面を繰り返すのだから。

そうした「ルートヴィヒ二世のためのレクイエム」の音楽で例外的だったのは、全編通してクライマックスのみ。ルートヴィヒ二世のご尊顔を微動だにせずクローズアップし、楽劇"ラインの黄金"の「ワルハラ城への神々の入場」が壮大に奏でられ、幕が閉じる。しかし、このクライマックスは視聴者に有無言わさぬカタルシスをもたらすだろうか。むしろ極めて皮肉的で、キッチュであるといえないだろうか。そう、ジーバーベルクはワーグナーの楽曲が内在しているシニカルさやキッチュさこそ前景化し、それをルートヴィヒ二世の(恐らくは)死に顔とシンクロさせたのである。テオドール・アドルノワーグナーの音楽の崇高さと陶酔の裏に孕む「いかがわしさ」を徹底して検証して見せているが(「ヴァーグナー試論」作品社、2012年)、ジーバーベルクもまた、ワーグナーならびに後期ドイツロマン主義のそうした崇高さの果てにある「俗悪さ」を見事にあぶり出そうとした。

「ヒトラー、あるいはドイツ映画」 においても、ジーバーベルクの音楽はこのように常にクリティカルであるが、中でも驚嘆すべきはここで多用される音楽が、ワーグナーやナチス時代の軍歌ではなく、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲した弦楽四重奏曲第77番「皇帝」の第2楽章主題、すなわちドイツ国歌の旋律である点である。実際、ワーグナー楽曲やバーデンヴァイラー行進曲、ホルスト・ヴェッセルの歌など、ヒトラーないしナチスもの「テッパン」の音楽も多々引用されるのだが、それ以上の圧倒的な回数で用いられるのがドイツ国歌なのである。

重要なのはドイツ国歌の音楽が、極めて複雑な経緯をたどりつつも、現在のドイツでも正式に国歌として採用されている点である。ドイツ国歌は当初、18世紀末にイギリス国歌の美しい旋律を耳にして感銘を受けたハイドンが、ドイツにもこのような愛国心と民族主義を顕揚する歌が必要であると思い立って作曲し、時の神聖ローマ皇帝フランツ二世に献呈した作品。当初は「神よ、皇帝フランツを守り給え」で、歌詞もフランツ二世を称えるものであったが、オーストリア帝国の国歌として以後第一次大戦の敗北でオーストリア=ハンガリー帝国が解消するまで国歌として採用された。

それとは別に、19世紀中頃からフランクフルト国民議会などを通してドイツ統一運動が盛り上がりを見せ、その運動の象徴となる歌として詩人のアウグスト・ホフマンが同曲に別の歌詞をつけた。これが1番から3番にまでなる「ドイツ人の歌」、後のドイツ国歌である。正式にドイツ国歌となったのはヴァイマール共和国が成立してからだが、その歌詞からこの曲がドイツ統一運動、特に大ドイツ主義のシンボルとして、重要な位置を占めてきたことがわかる(以下、Wikipediaより1番歌詞引用)。

 

ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ
護るにあたりて
兄弟のような団結があるならば
マース川からメーメル川まで
エチュ川からベルト海峡まで
ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ

 

登場する地名は、建設されるべきドイツ人国家の東西南北の国境であり、ドイツ人の住むすべての土地を意味するが、現在のドイツ国境とはもちろん大きく違うし、一度もドイツに領有されなかった地域もある。いずれにせよ、ドイツ民族の統一国家建設運動、中でも大ドイツ主義の理念が歌詞の中に典型的に表されている。 ナチス時代のドイツにおいても、この歌詞は正式な国歌として採用されていた。

戦後になってこの歌詞がナチスの覇権主義を想起させるとして禁止され、新しい国歌の作成なども模索された(暫定的にベートーヴェンの「歓喜の歌」を採用していた時期もある)。しかし「新生ドイツ」にふさわしい曲はなかなか決まらず、結局同じ「ドイツ人の歌」の第3番の歌詞が温和で戦後民主主義体制にもふさわしいとされたため、曲は変わらずに歌詞のみ変わる、という特殊な事態となった*。現在ドイツ国歌として正式に認められているのは「ドイツ人の歌」第3番のみである(以下、Wikipediaより3番歌詞引用)。

*一方共産圏で独立した東ドイツは一から新国歌を制定し、ハンス・アイスラー作曲の「廃墟からの復活」が国歌となった。アイスラーは新ウィーン楽派のアーノルト・シェーンベルクの高弟でありながら共産主義運動に参加し師と絶縁、無調音楽を捨てブレヒトの舞台音楽を作曲するなど、音楽における社会運動の実践を行った。アイスラーとジーバーベルクはともにブレヒトに影響を受けた人物として好対照で興味深い。

 

統一と正義と自由を
父なる祖国ドイツの為に
その為に我らは挙げて兄弟の如く
心と手を携えて努力しようではないか
統一と正義と自由は
幸福の証である
その幸福の光の中で栄えよ
父なる祖国ドイツ

 

このように、ドイツ国歌は極めて複雑なプロセスを経て、現在も正式なドイツの国歌として歌われ続けている。そのため、本来このドイツ国歌に戦前のヒトラー・ナチス的なものを投影することは珍しいのである。確かに1番の歌詞のみならそうした文脈に沿うだろうし、逆に言えば現在でもドイツの周辺国からは1番の歌=ドイツ民族主義というイメージが根強くある。しかしジーバーベルクの映画では、このドイツ国歌が他のどんな曲よりも突出して多く引用されるし、合唱版、オーケストラ版、室内楽版、と様々なアレンジで執拗なまでに繰り返し奏でられる。もはや1番であろうが3番であろうが、そもそも「ドイツ国歌」であろうが何であろうが、この旋律はこの「ヒトラー、あるいはドイツ映画」という映画にみっちりとこびり付いているのである。

ジーバーベルクは、このドイツ国歌を用いて、巷でいう戦前と戦後の「断絶」という物語を徹底的に粉砕しようと試みたのではないだろうか。劇中様々な箇所で、ジーバーベルクはナチス的なるものないし後期ドイツロマン主義的なるものの末裔が戦後も形を変えて脈々と受け継がれていることを示唆している。それは「軍靴の音が再び・・・」的な左翼的批判としてではなく、より根源的に、ドイツロマン主義の末路とは何かを問うているのである。

戦前とは「断絶」した戦後民主主義体制の側から、ナチスに対して距離化を計り、ナチスを客体化して「断罪」してしまう戦後の知的エリーティズムを、ジーバーベルクは徹底批判している。だからこそジーバーベルクはドイツロマン主義の側に内在して、戦前と戦後を一貫するものの正体をあぶり出そうとした。そしてそれは、ナチスドイツの敗北、ヒトラーの地下室での拳銃自殺ではない、もう一つのドイツロマン主義の終焉を描くことになったのではないだろうか。

そうしたパラレルワールド的想像力を現実世界への告発として機能させる紐帯が、ドイツ国歌のあの旋律であったのではないか。悪夢にでも出てきそうなほど延々と繰り返されるドイツ国歌。もはや歌詞も旋律もそのすべての意味と文脈を剥奪され、素っ裸にされたドイツ国歌。それでもなお、この曲がまとってきたドイツ人の民族意識は無意識から引きずり出される。永遠に染み付いて取れない、ドイツ民族の無意識。この素っ裸のハイドンの音楽こそ、戦後民主主義体制が蓋をしてきた「戦前と今」の連続性を曝け出す装置だったのだ。