都市科学研究会ブログ

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【論考】アドルフ・ロースから考える“モダン”ファッション -建築、ファッション、装飾- (小原和也/弁慶 @xxbenkeixx)

———装飾は犯罪である。

 19世紀から20世紀への世紀転換期のオーストリア、ウィーン。

 ウィーンにおける装飾論を語るうえでキーパーソンとなるのは、間違いなく建築家アドルフ・ロースAdolf Loos,1870-1933年)である。ロースは、建築家であるにとどまらず、文筆家として文化批評などもさかんに行い、アルノルト・シェーンベルクなど多数の作曲家・芸術家のパトロンを引き受けるなど、華やかな文化活動を行っていた。

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(図1)アドルフ・ロース

 今回は、建築家でもあり、ファッション道楽としても有名であったアドルフ・ロースの取り組みを概観するなかで、“モダン”な建築がどのように目指され、またそのようなモダンな時代を迎えるにあたって““モダン”なファッションとは、どのようなものであるべきだと考えられていたのか、を示していきたい。

 建築家としてのロースは「芸術は必要にのみ従う」という機能主義の考えを提唱したオットー・ワーグナーも参加した芸術家コミュニティであるウィーン分離派の影響を強く受け、19世紀の過剰なまでに装飾を施したいわゆるルネサンス建築や、古典主義建築からの脱却をはかるために、装飾性を可能な限りそぎ落としたモダニズム建築の先駆的な作品を多数手掛けている。

ルネサンス建築や古典主義建築は、その崇高さや荘厳さ、という点において華美なまでに装飾を施した建築が多いことで知られている。しかし、その装飾は何かの機能性を兼ね備えたものであるか、という点については、疑問が多く残るデザインが施されていた。

 いわゆるモダン・デザイン以後の時代に生きるわれわれにとっては、装飾のないデザインこそが何の違和感もなく「モダン」かつ身近で、殊更に装飾性に対して闘うといった必要性に駆られることはないだろう。従って、われわれにとっては近代建築を支えてきたユートピア思想、古典派建築が全盛であった時代状況において、その装飾性を断罪することの困難さは想像し難いものである。そのような状況において、冒頭に引用した断罪や、「文化の進歩とは日常使用するものから装飾を除くということと同義である。(Adolf Loos,2005)」という痛烈な指摘からも伺える通り、ロースの思想は一貫して、従来の華美なまでの装飾性を削ぎ落とし、機能主義的な観点からデザインや文化を再興するものであったと言える。

 

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(図2)ミヒャエル広場前に建設されたロースハウス

 華美なまでの装飾性を断罪し、削ぎ落とすと言うことは、その装飾物が持ち得たデザイナーしかり、その表現物のもつ特有の顕名性を解体することと同義である。このように装飾におけるデザインをその匿名的な側面、機能性へと還元する試みが、ロースの装飾論の本質であるといえよう。

 このようなロースの機能主義的なデザインや設計に対する考えは、ファッションにおける装飾とモダンファッションの関係性を考えるうえで、非常に重要な示唆を与えてくれる。

 建築家ロースは、ファッション道楽としても有名であった。ウィーンで最高の仕立屋の上客であるばかりか、わざわざロンドンから高級紳士服を取り寄せることもあったという。

 19世紀のファッションは、ファッション不遇の時代として知られている。壮大で量感豊かなバロック期の意匠が、繊細で軽やかなロココ様式の色彩模様へと変化は遂げていくなかで育まれた18世紀のその華美な装いとはうってかわって、産業革命を契機に急激にその様相は一変した。大量の既製服が製造され、安価で画一的な服が手に入るようになりつつあった。しかし、衣料産業が完全に工業化に推移するにはもう少し時間がかかったため、まだ仕立てによるファッションが主流ではあったが、大量生産の服は一人一人の身体に合った仕立てやデザインの多様性が犠牲にされて、次第にその様相は画一的にならざるをえなかった。

 このような時代状況に生きたロースは、画一化にむかうファッションの状況にあって、19世紀末から20世紀における「モダン」への移行期にあった社会において服装を“正しく装う”ことが肝要である、という考えを示している。ここでいうファッションを“正しく装う”ということは、どのような事態を指すのであろうか。そんなロースはファッションにおいても、華美な装飾性を拒否する思想を一貫している。

 ロースの文化批評である「紳士のモード」という論考の中でロースは「ある服装が今日的であるということは、文化の中心の最上級社会において、その時々に応じ、可能な限り目立たない場合においてである。(Adolf Loos,2005)」といった指摘を行っている。

 この指摘には、ロースの「モダン」なファッションに対する考え方が如実に現れている。というのも、このモードを煽動する人たちのファッションは、決して華美で装飾的であってはならない。装飾的に目立つ装いをするだけでは、本当の意味で社会的な地位の高い人間であるとは言えないし、そのような装いは本当にお洒落な人間とは言えないのである。

 つまり、お洒落であるということは同時にただ装飾的であるということを指すのではなく、いかにその装いの装飾性を削ぎ落とし、正しく仕立てられた服装をいかにして身に纏うか、という出来事として捉えるべきなのである。この考え方は先ほどロースが建築に対して行った断罪と同じである。ただ単に大量生産の画一的なファッションへと移行する中で、その違いを見せつけるためにただ目立つ洋服を仕立てればいいというものではない。しっかりと、機能的に洗練された技術を持ち合わせた仕立屋において、華美な装飾で仕立て上げることもなく、正しい装いに仕立て上げることがファッションにおいても重要となる。

 さらにロースはこうも言い切る。「装飾がないということは、精神的な強さのしるしである。近代人は、自分が適当と思えば昔の文化や他民族が作り出した装飾を利用すればいい。近代人とは、自分の創意・工夫を他のものに集中するものである。(Adolf Loos,2005)」

つまりこういうことだ。ただ享楽的に、華美に自己を飾り立てることはせず、その洗練された技術・機能に忠実に、正しく装うこと。その先にある獲得される自己と、その自己に見合う“正しい”装いを行うことが、本当のお洒落であり、モダンなファッションとして考えられていたのである。

 

 

 

 

【参考・引用文献】

「アドルフロース著作集1虚空へ向けて』」: Adolf Loos:加藤淳編集出版組織体アセテート,2012

装飾と犯罪建築文化論集: Adolf Loos:伊藤哲男 中央公論美術出版,2005

「ファッションの歴史 西洋中世から19世紀まで」:ブランシュ・ペイン:古賀敬子 八坂書房,2006

 

【引用図】

(図1)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

(図2) http://ouchiyama.exblog.jp/14643562/