都市科学研究会ブログ

都市問題から学問を捉え直す、そんな分野横断型研究会の公式ブログです。

【エッセイ】情報について(筆者:ぽりーぬ)

1.

今日私がお話ししたいと思うのは、何冊かの書物とフィールドワーク、具体的には、書 物が理論、フィールドワークが実践と定義するのではなく、理論という実践についてお話 しできればと思います。そこで、取っ掛かりとして、都市に関する本と都市を舞台にした 小説を読むわけですが、調べれば調べるほどますますわからなくなる。作業過程で気づい たのですが、都市小説を論じた書物って、ことごとく都市論なんですよ。『メディア都市パ リ』『ドストエフスキーのペテルブルグ』、あるいは部分的にせよ『フーコー 思想の考古 学』も例外ではないと思います。どれも面白いのですが、サワリをがっつり撫でると『メ ディア都市』はマーケティング=言説市場分析、『ドスペテ』は都市文学論と言ったところ でしょうか。『思想の考古学』には 17 世紀ヨーロッパの主要都市で「街路照明」が義務付 けられたという記述があります。街灯を設置するのは可視化(犯罪抑止)の為ですけど、 これに反撥する人はいませんね。景観を損なうとか文句を言う人はいるわけですが、もと もと野原や森だったところを整備したのですから、整備されている限りにおいて、景観を 損なうと文句が言える。逆に、馴染みのコンビニが野原に戻っていたら、哀しいでしょう。

2.

北総線という CM やドラマのロケーションによく使われる路線がありますが、人がいま せんね。運賃が高いからです。私はバイトの面接で利用した事がありますが、往復すると 交通費支給込みで労働賃がほとんど残らない、そういう交通機関です。運良く面接は落ち ました。沿線に喜久屋書店という、品揃えが豊富な本屋がありまして、一時期通っていま した。立ち読み出来るという利点が大切なのです。ゴダール『映画史』が最近文庫化され ましたが、ハードカバー版をそこで読みました。読んだと言っても全部じゃないですよ。 いまだに読んでいません。思うに、そういう本じゃないのです、これは。≪私はいつも引 用ばかりしてきました。ということはつまり、私はなにも創出しなかったということです。 私はいつも、本で読んだりだれかから聞いたりした言葉をノートに書きとり、そのノート を手がかりにして見つけたいくつかの事柄を演出してきたのです。私はなにも創出しなか ったのです≫i。何も思い浮かばなければ、盗めばいい。そういう本じゃないとはそういう 意味です。と言っても、必ずしもその意味だけではありませんよ。私が個展を開くとして、 鑑賞者に逐一「私の作品はどうですか?」と尋問したくはありませんし、あいつは何のメ ッセージを発信してるんだとも言われたくありません。

3.

孤独? 孤独でしょう。私の書いたものを支離滅裂だとか、ヤマ場が無いとか評した人 たちがいますが、そうじゃないのです。その人たちは「これはストーリーではない」と言 うべきだったのです...... それに、私は今ではそれほど気にしなくなっています。情報を 遮断していますから。ニーチェは書いています、≪ハエたたきとなることは、きみの運命ではないのだ≫iiとね。そのように生きることを私は選んだ。誰の言う事も聞かないと言う 訳ではありませんよ。実際に出会った人たちから学んだのですから。twitter なら twitter で......というか、どこでもそうですが......人を見てしまう。これは慣れてしまった人の反 応だと思います。つまりコンテンツとして消費し尽くした。あとは情報の送受信をしなけ れば「ならない」という、何の根拠もない義務感に動かされるのです。私も例外ではない でしょう。しかし、それでも。ジル・ドゥルーズは≪〈情報を与える〉〔informer〕という のは、ひとつの命令を流通させるということなのです≫※ⅲと言っています。命令だとわかっ ているなら、それを無視するという正当な要求も成り立ちます。無知でいいではないです か。唯唯諾諾と命令に従うなんてみっともないですよ。情報を、命令を最も効率よく集め た者が勝者だなんてクソゲーじゃないですか。だからこう言っておきます。マジ勘弁。

※i ゴダール 映画史 (全)』奥村昭夫訳,ちくま学芸文庫,2012,p.416

※ii フリードリッヒ・ニーチェ,吉沢伝三郎訳『ツァラトゥストラ 上』ちくま学芸文 庫,1993,p.95

※iii ジル・ドゥルーズ,宇野邦一監修,廣瀬純訳「創造行為とは何か」『狂人の二つの体制 1983-1995』河出書房新社,2004,p.189

【論考】規模から都市を論じることの可能性について(筆者:バーニング - @burningsan)

1.はじめに

 都市と一言で表しても、その実情はもちろんさまざまである。大阪や東京といった大都市と、筆者が高校時代の3年間を過ごした高松のような地方都市とは比較にならないほど様相が違う。

 そういったことを考えながらさて、本稿では次のことを論じたい。それは、適正規模論とsize and democracy(規模とデモクラシー)いう議論から都市をとらえるという試みについてである。これらについてはのちに詳しく述べる。

 筆者の問題関心は地域社会の実情であり、今は大学院で地域社会にとっての社会保障(医療、介護、福祉など)のありかたについて研究している。ここでいう地域社会はローカルなところ、あるいは地方や田舎と呼ばれるところを想定しているが、対比するようにして都市あるいは大都市についても関心を持つようになった。

 本稿で紹介する適正規模論は政治学や行政学の議論のひとつである。近年では平成の大合併のときに一部で盛んに議論され、話題にのぼった。平成の大合併の性質上、田舎や過疎地域から数万人程度の都市が主な議論の対象だった。だが適正規模論の原点ともされる議論をたどると、都市やだ大都市にも一定程度適用できるのではないか、というのが本稿のねらいである。

 都市とは何か。ふたつの議論を使って、ひも解いていきたい。

 

2.適正規模論と”Size and Democracy”

 「はじめに」で述べた適正規模論とは、簡単に言えば政治や行政といった営みにとって適切なサイズはどの程度かという議論である。平成の大合併ではとりわけ財政効率と行政サービスの維持という観点で議論された。平成の大合併と同時期に当時の小泉政権の政策として国から地方への財政移転が縮小したこと(いわゆる三位一体の改革の結果)や、合併によって行政サービスの質的低下が予測されたためだと言えるだろう。

 行政学の議論をもうひとつ挟むと、総合行政主体論と呼ばれる議論が適正規模論と隣り合っている。総合行政主体論では、地方自治体を自己完結的に様々な行政事務やサービスを執行できる機関(=総合行政主体)とみなす。

 現実として人口1万にも満たない小さい規模の自治体は一部の事務を近隣の市町村に委託したり、あるいは一部事務組合や広域連合といった形で周辺自治体と連携、協力することで日々の事務をこなしている。この限りにおいて適正規模とは何か、という点は特別問われることはない。しかし総合行政主体として自治体をとらえるとすると、同時に人口や面積などはどの程度の規模が最適なのかという議論も必要になってくる。

 

 話がやや先走りしたが、適正規模論の原点ともなっている議論を簡単に紹介しよう。それはアメリカ政治学の大家であるロバート・ダールが、エドワード・タフティと共著で1973年に出版した”Size and Democracy”である。(*1)

 表題の通り、規模あるいはサイズと、デモクラシーの関係についての実証的な著作である。ダールとタフティはこの著作の中で様々な観点から規模とデモクラシーの観点について論じているが、重要が概念をまずふたつ掲げる。それはシステム容力(system capacity)と市民有効性(citizen effectivenss)である。ダールとタフティによると、前者は政治体(polity)が市民の集合的な選好に完全に応える能力のこと、後者は市民が政治体の決定を完全に制御することであり、これらの概念を基準にして本書での分析に生かしている。

 少し例をあげてみよう。たとえば市民有効性を観察するために、政治参加や公職者との政治コミュニケーションの分析などをダールとタフティは本書でおこなっている。

 アメリカを含めたイギリス、西ドイツ、イタリア、メキシコの5カ国の調査では、国レベルよりは地方レベルにおいて市民は政治的有効性を実感するという。5カ国調査では国レベルよりも地方レベルのイシューに関心を持つ市民が多いというのも特徴的だ。

 しかし投票に関してはこの通りとは言えないケースが出てくる。理由はいくつかあるが、まず投票コストと規模はあまり関係がない。そして選挙制度を考慮にいれないと分析としては不十分になるためである。

 また、地域やイシューによっては地方レベルの関心が高まることもあるだろう。たとえばいまの日本において、原発の稼働の是非は地方自治体の判断に左右される。投票に関しては規模との関係性が一義的ではないのである。

 

3.現実への適用可能性

 適正規模論とsize and democracyの議論をここまで簡単に紹介してきた。では現実問題として、これらの議論がどのような示唆を与えてくれるのかを検討してみよう。つまり、都市の分析ツールとして、どういったことが可能なのかの検討をおこなう。

 適正規模論と市町村合併の議論では、合併の性質上小規模の自治体に適用されることが多かった。とりわけ、合併による規模の経済効果として、財政効率が理論的にも実証的にも論じられてきた。

 しかし、平成の大合併について包括的に検証した今井照は、最適規模論と財政効率やコストの問題を論じることに疑問を呈す。コストと最適規模論という見方は一面的であること、自治体の適正規模は上限もあるはずだが財政効率では効率という観点ゆえに下限に注目することを理由として挙げている。(*2)

 これらの指摘はもっともである。また、地理的要件を財政効率からみる最適規模論では反映しきれてないことへの批判も今井は述べている。

 

 ダールとタフティは規模にどのような指標がありうるかという説明として、人口や面積の他に人口密度と人口の分散を挙げている。また、絶対量ではなくて相対量として規模をはかろうとしている点に注目してみよう。平成の大合併の際の最適規模論には効率さの下限に注目するあまり、相対的な視点を失ったことにひとつの欠点があったととらえることができるだろう。

 もちろん政治体にとって財源やコストは、ダールとタフティのいうシステム容力を裏付けるものでもあるし、それなくしては何もできない。しかしながら、即合併という選択が正解にはならないのは、合併という規模の変化によって様々な影響が発生するからである。

 現実として人口1万にも満たない小さい規模の自治体は一部の事務を近隣の市町村に委託したり、あるいは一部事務組合や広域連合といった形で周辺自治体と連携、協力することで日々の事務をこなしている。この限りにおいて適正規模とは何か、という点は特別問われることはない。こういった視点の議論は、規模とデモクラシーの観点から見てもふさわしいとは言えないだろうか。

 

 話を都市に展開しよう。都市の自治体においては、小規模な自治体に比べるとシステム容力の問題は軽減される。だが他方で今度は市民有効性の観点から見ると、小規模な自治体と比べて重くのしかかるのではないだろうか。

 これはダールとタフティが観察したことを援用する形で現在にも適用できるのではないかと思う。たとえば大阪市の橋元市政、名古屋の河村市政、また東京の石原都政についてである。

 これらの大都市は、その大都市性ゆえに一人一人の市民の影響力は乏しい。 しかし上に挙げたのはいずれも多くの支持を得た首長である。一人一人の影響力の乏しい市民が、多くの支持を得た首長を制御することはどれほど可能だろうか。

 たとえば住民投票やリコール請求といった政治的決定の制御の方法は、大都市の市民にとってハードルが高いように思われる。だが現実に大阪市と東京で原発国民投票の住民投票が規定数を得たことや、名古屋では市議会の解散が成立した事実もまた、示唆に富んでいる。

 

4.おわりに

 適正規模論とsize and democracyの適用可能性を検討しつつ都市への実際の適用を軽く試みた。もっと多くの試みが可能だとは思うし、都市とはいってもかなり限定的な例示にとどまったが、今回はこのあたりで締めたい。

 適正規模論とsize and democracyは、いずれも多くの示唆を与えてくれるとともに、すべての理論がそうであるように限界も有している。このふたつの議論が時には共鳴し、時には相反することも特徴である。逆に、そうしたことを所与とすることで、様々な気づきを与えてくれる分析ツールだとも言えよう。

 得られた気づきをもとに、新たに議論を深めていく。その入り口として規模とデモクラシーについて、あるいは規模とその適正さについて思いをめぐらすことは、政治学や行政学にかかわらず可能ではないだろうか。

 

 

*1 Dahl, Robert A. and Edward R. Tufte, 1973. Size and Democracy Stanford: Stanford University Press (邦訳:内田秀夫『規模とデモクラシー』 1979年、慶應義塾大学出版会)

*2 今井照 『「平成大合併」の政治学』(2008年、公人社)、pp58-63

【論考】逆襲する帝国あるいは都市のもつ不可逆性について(筆者:ορείχαλκος)

人気アニメ「クレヨンしんちゃん」は、テレビアニメのシリーズ放送だけでなく映画も放映している。その映画が20周年を迎えたということで、2012年に歴代映画作品の中から人気投票が行われた。第一位は「クレヨンしんちゃん

嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001年)であった。この作品はかなり評価が高いもので、多くの人にとって納得のいく結果だったのではないだろうか。

観た人も多いだろうが、簡単にあらすじを説明する。「しんのすけたちの住むまちに『20世紀博』というテーマパークができる。そこで大人たちは自分が子どもだった頃のアトラクションに没頭。そして、大人たち全員がテーマパークへ姿を消してしまうという事件に発展。大人たちは完全に子どもに戻ってしまったのだ。それを実行したのは『イエスタデイ・ワンスモア』という組織。そのリーダーであるケンは、21世紀の今に失望し、日本がまだ輝いていた20世紀に日本を戻そうとしていたのだった・・・・」

以上が簡単なあらすじである。

さて、この作品の副題「オトナ帝国の逆襲」は、スターウォーズの「帝国の逆襲」をもじってつけられたものである。しかし、あえてその事実をここでは無視しよう。ケンたちイエスタデイ・ワンスモアが築こうとしていた「オトナ帝国」は一体、何に「逆襲」しようとしていたのだろうか?

本編の中でケンは20世紀に対する失望を述べ、その恋人であるチャコも、今に生きる人々が「心がからっぽ」だから、いらない物ばかり作っている、と今の時代を否定的に捉えている。以上から、彼ら彼女らが「今」を憎んでいることがわかる。そう、彼ら彼女らは「今」に対して逆襲しようとしているのではないか。これが私の考えである。

「オトナ帝国」とは間違いなく、彼ら彼女らが夢を抱いていた時代のことである。それは醜悪な「今」となって否定された。それを今の時代に復活させること、それは間違いなく「逆襲」に他ならない。否定したそのものを否定されたものに成り変えようという試みは、悲壮感に満ちながらもあの日あの時あの瞬間、我々は確かに輝いていたのだという過去を再生させようというものだった。そして、「今」しか知らない「今」の象徴である子どもたちを制服を着た大人たち(明らかにナチスや秘密警察をイメージしている)が「狩り」に出るという流れも、まさにこの「逆襲」の構図を凝縮した描写だと言えるのではないだろうか。もっとも、ここで展開されるのは制服を着た子ども返りした大人たちが滑稽な手段でしんのすけ達を追うギャグである。

 

とは言え、発達した産業社会を根本から転換させようという試みは往々にして失敗する。市場が圧倒的な発達を遂げた場合に、社会が自己防衛を図ると述べたカール・ポラニーは有名な「悪魔のひき臼」の喩えを用いた。市場によってすり潰される人々。それに対する抵抗、自己防衛運動をとる社会。だが、この防衛運動は必ずしもうまくはいかない。一方でポラニーはこう述べている。

 

  ある潮流が最終的に勝利したからといって、なぜそれをその潮流の進行速度を緩やかにしようとした努力が無駄であったことの証拠と考えなければならないのか。またなぜそうした措置の狙いが、まさしくその措置が達成したこと、すなわち変化の進行速度を減速させる点にあったと判断しないのか。

(K.ポラニー著 野口建彦・栖原学[訳]『[新訳]大転換』2009年 東洋経済新報社 p64)

 

都市というものは構造上、一旦発達した場合にそれを元に戻すということが困難な空間である。一部の建造物をかつてあった形に戻すことはできるし、そういった取り組みも実際には行われている。しかし、それは都市全体で見るとあくまで一部の話であって、一個の都市全体が昔に戻るということは、あり得ないと考えていいだろう。なぜなら、一度効率的に構築された空間を効率とは異なる論理で再構築することが困難だからだ。これは都市空間に限ったことではない。たとえば、福田恒存はかつて保守的な立場から歴史的仮名遣いの復活を唱えたことがある。だが、歴史的仮名遣い復古運動は今では長谷川三千子小堀桂一郎ら一部の論客たちに受け継がれたものの、社会的主流にはなっていない。これは、一度利便性に基づいて変革されたものを元に戻すことの難しさを現した事例と言っていいだろう。

しかし、それに対する抵抗の試みは、市場と社会についてポラニーが言ったように決して無駄ではない。ケン達、イエスタデイ・ワンスモアは市場が呑み込まんとする動きに応じた社会の自己防衛運動だったと言えるのではないだろうか。帝国の逆襲は、社会の自己防衛運動だったのである。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、社会の自己防衛運動とは決して反市場のかたちをとって出現する訳ではないということである。もしも、それが反市場主義をとるならば、イエスタデイ・ワンスモア内部で行われるあらゆる取引は全て金銭を伴わないものの筈である。もちろん、そんな描写は映画にはない。映画にあるのは、利便性を超えた「懐かしさ」による回帰である。そこにはイデオロギーは無く、ただ我々が失ってしまった何かの提示があるだけだ。

 

ケン達の試みは結局、失敗する。ケンは家族に邪魔されたと劇中で述べる。家族、それは今の社会で我々が失いつつあると言われているものであり、ケンが求めた懐かしいかつての社会の象徴の一つだった。計画が失敗し、死のうとするケンとチャコにしんのすけは「ズルいぞ」と叫ぶ。あの叫びを聞いて、ヒヤリとした人も多いのではないだろうか。昔の社会を懐かしみ、そしてその再生が失敗したら死のうとする。その一連の動きに対する「ズルいぞ」の叫び。子どもからの、叫び。それを受け取った以上、我々は生きていくしかなくなるのである。自らが懐かしんだ昔の象徴の一つに敗北したケン。しかし、彼の試みはたとえ失敗したとしても意義のあるものだったに違いないのである。ポラニーが言うように、ケンの試みは変革の速度を緩めようとしたものだったと捉えることもできる。その速度といかに向き合うか、それは映画を観た我々ひとりひとりに課せられた課題である。

 

さて、イエスタデイ・ワンスモアがつくろうとした帝国は結局、失敗した。しかし、社会の自己防衛運動は続くだろう。それは時に反市場主義、規制の再構築といった極端なかたちで表出することもある。それに対して我々がどう向き合うかは永遠の課題だ。そして、帝国は逆襲し続ける。過去において未来だった今を裏切り続ける「今」に抗して。

 

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【論考】「計算科学的人文科学」のススメ(筆者:狐狸夢助)

 栄光は聞かれなくなっていた。――見つからない。灰色の狼たちは海で空振りし続けた。

 

 …第二次世界大戦末期、ドイツ海軍潜水艦――通称Uボート――への指令をのせた暗号「エニグマ」は、すでにイギリスの数学者アラン・チューリングらによって破られていたためである。

 兵器の意味は一瞬で変わってしまう。昨日は有効であった兵器が、次の日には敵方の工夫によって役立たずになってしまう。「本質的に」強い兵器などこの地上には存在しない。事物の意味は他の事物との関係により決まるからである。

 

 新しい技術や知見の登場による事物の関係再編は、認識の枠組みの再編を帰結することがある。その例の一つである近現代での生物の脱魔術化は、その結果として私たちがいま立つ認識の枠組みを形成した当の契機として重要である。

 生物の脱魔術化によって「人間存在もまた塵芥――他の自然物と何ら差異を有しない自然物――の集合にすぎない」という見解が広まり、その結果として人々の認識に変革が広まった。世界を思い描く一人称の「私」も実は身体という自然物の編成体の効果にすぎないという考えが広まるとともに、「事物が世界を生成する」と広く考えられるようになったのだ。そこでは「外界からの刺激を身体が受けるもしくは身体の中で反応が進むことで――あたかもパズルが自発的に組み上がるかのように、しかしあくまで水が高所から低所に流れ落ちるように何の神秘もなく――事物が自己組織的に運動してそれと平行に経験世界が生成される」と考えられるようになる。

 

 これまではこの「事物の自己組織的な運動」は探求困難なものであった。何故ならば、事物が多数集まって出来る複雑な系の振る舞いを予測するためには、莫大な計算が必要となるためである。しかし近年、複雑な系の振る舞いを計算によって予測することに対するモチベーションが産学ともにますます盛り上がってきている(※1)。それは、この10年で計算機の演算速度が1000倍になる(※2)など、情報処理技術が近年急激に発達してきているためだ。

 

 そこで私は本稿でまず疑問をひとつ提出したい。それは、このいわば「情報処理革命」に対する、いわゆる人文科学側の態度についての疑問である。確かに最近、情報処理技術がもたらした人間関係の急激な変化が人文科学側でもよく注目されてはいる。だがそれは情報処理技術の成果をサービスとして普通の人々がどう受けるかという、エンドユーザーでの出来事についての注目が主流であるように思われる(※3)。私は「情報処理技術がもたらす自然科学の最先端に密着した人文科学的探求は不可能なのか?」と問いたい。

 計算機の性能はこの10年で約1000倍になったというのに、人文科学はそれを指をくわえて眺めながら10年前のテクストを「現代思想だ」と呼んで読み続ける。それでいいのか。本当にそれしかないのか。もちろん現実的な問題として、人文科学系の研究者に他の学問をも独力で推し進める能力を要求するのは酷なのは間違いない。だが、だからといって相手にするのを投げ出すのはとてももったいないほどの革新的な技術や知見が情報処理技術の発達とともに現れてきていると私は思う。

 

 ではどのような方法で探求をすればいいのか。以下で私は方法案を具体例を示しつつ提案する。

 近年、生物の活動における「ゆらぎ」の重要性が指摘されている(※4)。その指摘によると、生物が様々な情報処理を柔軟かつ低エネルギーで処理できるのは、ランダムなブラウン運動を一方向にバイアスするという仕方で、生物の活動を担う分子が強い方向付けを作ることなく個々の確率論的エラーを許容しながらシステムを形成しているからではないかとされている。このようにまず、新たな原則の発見につながるような成果を見つけ出す。

 そしてこの成果を例えば「生の潜在的領域は確率論的エラーを許容しながら生成しているのではないか」というように人文科学的に評価する(※5)。この際に、暗喩による思考にはなるべく頼らず、原則的に概念の自然科学的用法を守ることが大事であると私は考える。なぜならば、概念の自然科学的用法に従わないことには二つのデメリットがあると思われるからである。第一に、それによって言葉を共有された定義から引き剥がされ、その後の議論が分かりにくくなってしまう可能性があるから。第二に、それによって自然から得られた経験からの脱離が起こり、経験の持つ自己を他者に対し開く効果が下がってしまう可能性が考えられるからである。

 最後にこの人文科学的評価を原則として、既存の人文科学の更新ができないかを試みる。

 …このような手続きを踏むことで、自然科学の知見から思想を安易に取り出すという歴史上たびたび繰り返されてきた愚行に陥らないよう気をつけつつ、人文科学を自然科学の成果に密着させることはできるはずだと私は考える。

 

 本稿で私はいわゆる人文科学を学んでいる方々に一つの提案をしたい。

 生命や環境に関する情報はますます盛んに集められるようになり、それらは近年急激に発達してきた情報処理技術によって莫大な計算量の解析にかけられるようになってきている。

 近代生物学が自然科学の原則によって我々自身を書き換えて脱魔術化したのと同じように、また新たな複雑な系に関する原則が情報処理技術から現れてまた我々自身を書き換えてゆく――そう期待して、情報処理技術の最先端に密着しながら人文科学をしてみるのも一手なのではないか?

 これが本稿での私の提案である。

 

 この30年間、哲学には新たな大潮流は現れていない。その原因を私は、哲学が自然科学などのもたらす外部の経験から脱離したからではないかと疑っている。もしこれが正しかったとするならばーー。

 ーー諸君らはこのまま海を彷徨い続けるつもりなのか?

 

※1:

その一例として、東京工業大学の青木教授らが行った気象シミュレーションの実行結果ムービーを "http://www.sim.gsic.titech.ac.jp/Japanese/Research/weather.html" で見ることができる。

※2:

1993年度から2011年度までのスーパーコンピュータのLINPACKベンチマーク速度の歴史 "http://intelligent-future.com/wp/wp-content/uploads/2011/06/TOP500-June-2011-Projected_Performance_Development.png" および京の速度 "http://i.top500.org/system/177232" から計算した。スーパーコンピュータというと普通のユーザーとは無縁に思われるかもしれないが、GPUメーカーであるNVIDIAのサイト "http://www.nvidia.co.jp/object/geforce-gtx-690-jp.html#pdpContent=2" に掲載されているGPUを自宅のデスクトップPCに装着すれば理論演算性能は "http://www.gpureview.com/GeForce-GTX-690-card-668.html" に書かれているとおり9.2TFLOPSとなり、10年前の世界第1位のスーパーコンピュータの実効性能に並ぶことを記しておく。

※3:

エンドユーザーのリアクションについての考察から一歩進んだ試みとしては、技術を活用した社会設計の提案の書であった東浩紀『一般意志2.0』が挙げられるであろう。このような、技術の活用可能性について論じるというのが、技術の発達を積極的にうけて思索する上での一つの方法であるとは思う。

※4:大阪大学の柳田教授らの成果 "http://www.jst.go.jp/kisoken/crest/report/heisei18/pdf/pdf18/18_2/008.pdf", "http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/yanagida/kotoba.pdf", "http://tkynt2.phys.s.u-tokyo.ac.jp/21coe/presentation/yanagida.pdf" を参照。

※5:もちろん、この評価はあまり新しい評価ではない。他の評価をぜひ考えてほしい。

 

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【論考】灯台下暗しの政治学ーデモクラシー、無知、進化ー(筆者:佐倉小五郎)

■ところで君は何を知っているんだい?

 

「灯台下暗し」ということわざがある。みなさんご存知の通りであろうが、大体の意味は「目の前のことに気づかないこと」ということができるであろう。古人の言葉はしっかりと受け取って考えることは良いことである。我々は常日頃、ことわざをもとにして行動を決めたりしていることは往々にしてある。私たちは常に何らかの行動をしている。しかし、その行動をしている時に、ふと立ち止まってみよう。わからなかった問題がもしかしたら解決するかもしれない。自分の足下に転がっていた何気ないものによって。私たちは常に何もかもを知っているわけではないのである。

 

「井の中の蛙大海を知らず」ということわざもある。これもまた有名なことわざである。井戸の中で暮らしている蛙は、井戸の中の世界を知った気になっている。しかし、実は外にはもっと広い海がある。蛙は知っているような気がしていたが、実は何も知らなかったのである。

 

このように、我々の無知を質すことわざは色々存在している。そして、そのような故事成語に従うことは大体にして我々にとって良いものである。我々は自分たちの周り以上のことを知りうることは難しいのである。そして同時に、自分が知ったつもりでいるものとは、概して自分の主観的なイメージによって成り立っており、完全な知識ではないことが往々にしてあるのである。アメリカのジャーナリストにして政治学者であったウォルター・リップマンは、「それのぞれの人間は直接に得た確かな知識に基づいてではなくて、自分でつくりあげたイメージ、もしくは与えられたイメージに基づいて物事を行っていると想定しなければならない。」(※1)と述べている。リップマンはそのような状況の中で、民主主義について可能かを考えた。そして、そのような状況の中で、民主主義は不可能に思われるのである。大衆が中心となって行われる民主主義は、そのようなイメージといった不確かなものに頼りがちなのである。

 

そのような状況で民主主義は可能なのか。そのような声が多くの人の中で行われている。私はそのような問題について、同人誌「あじーる!」の中で、簡略化したものでありながら論じている。しかし、私が今回改めて論じるのは、民主主義と知識の問題である。

 

■政治と無知は表裏一体である

 

私は、民主主義に変わって、「灯台下クラシー」なるものを提唱したいと思う。もちろん、私は大真面目に書いている。そして、それは駄洒落以上の意味を持っていると考えている。言うまでもなく、「灯台下クラシー」はことわざである「灯台下暗し」をもじって作った概念である。そして、「デモクラシー」と「暗し」を掛けている。実に下らない。実に下らない駄洒落である。

 

しかし、私はこれの言葉が民主主義の本質を捉えていると考えている。というのは、民主主義の基本的な態度こそ、「灯台下クラシー」の言葉に象徴されているからである。つまり、我々のデモクラシーによる政治と、「灯台下暗し」はほとんど同じ問題を含んでいるのである。それは、「自分たちの決定を行う際に、自分たちのことは実は知りえない」ということである。

 

それは様々な意味において「知りえない」という問題に至る。その問題をまず羅列してみようと思う。

 

①理想的な社会を達成する一義的な方法を我々は知りえない

②自分自身が何を望んでいるか我々は知りえない

③完全な知識を我々は知りえない

 

まず重要なのは、「理想的な社会を達成する方法を我々は知りえない」という問題である。これは社会主義をはじめとした計画主義などにあたる批判であり、社会民主主義などに対する批判でもある。我々の社会は常に試行錯誤である。試行錯誤していく中でその度に有効なことをしていく以外に方法はないのである。なぜならば、特定の個人が社会全体を見渡すことは不可能であり、特定者が捉えられるほど社会は単純ではないからである。社会主義批判をしたF・A・ハイエクは、「われわれがもし、人間の行動の構造を計画的に構築したのだとすれば、あるいは意識的に計画したのだとしたら、ただ個人らにたいして、なぜある特定の構造と交わりをもったのかと問うだけでよかろう。ところが実際には、専門的な研究者たちは、数世代にわたる努力の後でさえその種の問題を説明することが著しく困難であることに気づくのであり、特定の出来事の原因はなんなのか、またその影響はどうなのかについて含意できないのである。経済学の興味深い課題は、自分たちは設計できると考えているものについて、実際には人間がほとんど何も知らないということを人びとに論証するのである。」(※2)と述べている。我々は社会設計という欺瞞を捨てなければならない。それこそ民主主義と人間の関係を知るために第一歩である。しかし、それだけでは十分ではない。次の論点に移ろう。

 

次に重要な問題は、「自分自身が何を望んでいるか我々は知りえない」という問題である。これは功利主義の「自分自身の欲求は自分が最も知っている」とというベンサムの規定を初めとした功利主義批判である。我々は自分にとって何が望ましいかについて知りえない。というのは、そのような欲望を数値化することはできないし、また何が優先されるべきか、一意的に判断できないからである。これは上の論点とも共通していることでもある。民主主義的決定をするときは、そのような功利主義的決定を規範とした決定は不可能であろう。我々はロールズがいうような、直観主義的な態度でしか、望ましいことを知りえないように思われる。そして、それこそロールズの言う「内省的均衡」、すなわち試行錯誤の態度である。

 

そして、最後の論点は「完全な知識を我々は知りえない」という問題である。これは心理が存在しないというような態度でもないし、また反実在論的態度ではない。我々は知識を絶対的なものとして捉えるべきでないということである。我々は知識を自分たちが説明するために使うための、仮説として使っているのである。科学哲学の権威であるポパーは「しかし、それでは、何が我々の知識の根源であるか。その答えは、わたくしの考えでは、こうである。我々の知識には、あらゆる種類の根源があるのであって、そのどれも権威をもたない、ということ。」(※3)と述べている。そして重要な点は、我々がそのような知識に誤りがある場合、それを修正していく態度である。知識はそのようにして、常に批判されて発展していくものなのである。

 

我々はそのような態度でもって知識を捉えることが重要であると考える。そのように考えることによって、絶えず社会の見通しを立てて行く努力をしていくことこそがデモクラシーなのである。

 

 

■灯台下クラシーの真意

我々はなにも知りえない。それは様々な点において知りえないのである。そして、そのような知りえないという事実から、「灯台下クラシー」の思想が重要なのである。最後に、私は「灯台下クラシー」がなぜ重要なのかを明らかにして、デモクラシーへのコメント、そして都市問題へのコメントに変えたい。

 

なぜこの問題を取り上げるのか。我々は都市という複雑な環境に生きているからだ。都市とは、様々なものが入り乱れている。その諸相は、まさに「ジャングル」である。ここで一番問題となるのは、都市とは我々自身がつくったものなのである。にもかかわらず、我々は都市について知ることは不可能である。都市に生活するということは、実は我々が無知の中に生きることと等しいものなのである。これは最近問題になっている「となりの顔もわからないような社会」だけの問題ではない。我々が何気なく使っている水道だったりビルだったりするものについても実は我々はどのようにしてそれが成り立っているのか、なんとなくは知っているかもしれないが、基本的には理解できないものなのである。人工物だけそれなのに、どうして人間以外のものが理解できようか。

 

そして、デモクラシー社会で問題となるのは、まさにこの種類の無知である。デモクラシーにおいて我々ひとりひとりが決定に関わる。しかし、そのような決定を下す時に、自分の知らないことも決定しなければいけないくなるのである。都市に生きる我々はそのような知らないことに対して決定を行うことなのである。それを理解することがデモクラシー社会を達成するために必要な条件なのである。

 

「灯台下クラシー」とは、我々の根底にある無知に基づいたものなのである。我々は、自分自身の社会をどのようにするかを知りえない。それは無知だからである。それを理解した社会ではどのような態度がふさわしいのか。それは我々の無知を自覚した上での政治である。我々はいかなるものに対しても無知である。そのような社会にあって重要なことは、いかに偶然性を理解するのか、そしていかにその状況を受け入れるかである。そして、そのような中でも諦めずに試行錯誤を繰り返すことである。我々の未来は常に「灯台下暗し」なのである。その中で、先行きが見えない中でも不断に変化をするのが人間である。

 

 

私は「灯台下暗し」の後に、「井の中の蛙大海を知らず」ということわざを取り上げている。これもまた無知を表すことわざである。我々は何もかもを自由に見渡せる鳥なのではなくて、井戸の中にいる蛙なのである。我々はそれを自覚した上でデモクラシー社会を生きなければならない。しかし、それは絶望的なことではない。我々は変えることができるのである。そう、「蛙」だけに。

 

※1 ウォルター・リップマン著、掛川トミ子訳『世論(上)』岩波書店岩波文庫)、1987年、42頁

※2 F・A・ハイエク著、渡辺幹雄訳『致命的な思い上がり(ハイエク全集Ⅱ期第1巻)』春秋社、2009年、112頁

※3 K・R・ポパー著、藤本隆志他訳『推測と反駁』法政大学出版会(叢書・ウニベルシタス)、1980年、42頁

 

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【エッセイ】「ルパン」が東京に盗まれた日(筆者:性正義a.k.a.業慾)

201245

 その日のお昼前、僕は電話を切ったと同時に、思わず溜め息をついてしまっていた。

 小見出しに記した日付の未明、正確には442554分、『ルパン三世』の27年ぶりのTVシリーズ『LUPIN the Third峰不二子という女~』がついに日本テレビで放送開始された。しかし、新聞のテレビ欄のよみうりテレビ1の枠をチェックしても、何処にも「ルパン」の「ル」の字すら載っていなかった。もっとも、関東圏で放送されたアニメがあちらから数日~数ヶ月遅れで関西圏でも放送がスタートするなんて事はザラにあるので、今更この程度で凹む事は無く、僕はよみうりテレビに「いつ新シリーズは放送開始されるのか?」という旨の問い合わせをしてみた。ところが、先方の返答は「現状、関西で新シリーズを放送する予定は無い。オンデマンド配信があるので、そちらを視聴して頂ければ……」というものだった。返答を受けお礼の言葉を述べて電話を切った後、僕は冒頭に書いた通り深い落胆の色を隠せなかった。

 いまし方述べたのが、今回話したい事の発端である。起こった事だけを見れば、よくありがちな視聴可能地域外の地方民が自分の住んでいる地域ではとある作品が放送されない事を知り嘆きに至るまで、である。しかし、まさか「ルパン」までがこの憂き目に遭う日が来るとは思わなかった。いくら放送時間が深夜で、かつ内容が原作寄りのダーティーで、エロで、サイケで、しかも不二子ちゃんの乳首の自主規制が無いとはいえ、『金曜ロードショー(現:金曜ロードSHOW!)』でTVスペシャルが放送されたらある程度の視聴率はキッチリと確保する、腐っても日テレの看板の一つのはずだ。それをあろう事か、筆者の住む大都市大阪含む関西圏では放送しないのだという。これは、単に地方におけるTVコンテンツ格差どころの問題では無い。なにせ、「ルパン」の初代TVシリーズはよみうりテレビ、つまり大阪が作った作品なのだから。

 

■ボンジュール!ボンソワール!

 事は『BSアニメ夜話』の『ルパン三世』特集回2に詳しいが、元々「ルパン」TVアニメ化の企画が持ち上がった1968年~1970年当時、「アニメは子供のモノ」といった考えがテレビ局関係者や製作者サイドの間では定説であり、企画自体に難色を示す向きが多かった。「大人の読者に向けた」事を売りにした『週刊 漫画アクション』に連載されている原作がいくら人気であるとはいえ、まだまだマンガとアニメーションの間には大きな壁があると考えられていた時代なので無理も無い。実際、初代TVシリーズで演出を務めたおおすみ(当時:大隅)正秋の談によると、企画段階から「ルパン」を「大人モノ」であるとハッキリと認識しており、アニメ自体も「子供用に脚色は絶対に出来ない」し、最初から「大人モノとしてやるしかない」と考えていた、という。

 作り手側の企画者・製作者サイドも初の試みであり、どのような評価が下されるのか全くの未知数である以上、当然ながらこの海のモノとも山のモノとも知れぬ作品を伝え手側であるテレビ局が好意的に受け取るはずが無い。事実、渡した企画書がテレビ局の編成部や製作部のクズかごに丸めて捨てられているといった事が多々あったらしく、当時を振り返っておおすみは「ショックだった」と述懐している。このエピソードからも当時のアニメ観がどのようなものだったかをうかがい知る事が出来るが、つまり当時の状況下においてはそもそも「大人モノ」なる作品自体が見向きもされなかった、という事である。この事からも、「ルパン」の売り込みが如何に苦労の連続であったか、察するに難くないだろう。

 ところが、パイロットフィルム(※3の製作開始から丸2年、ついに「ルパン」を放送しようとあるテレビ局が名乗り出た。それが件のよみうりテレビなのだが、当時のチーフプロデューサーであった佐藤寿七いわく、「15分のパイロット(フィルム)にしては物凄く素晴らしく」、「完成度がその頃のアニメと全く違っていた」事が、企画採用の要因であったという。こうして晴れてTVアニメの製作が決定し、197110241930分、『ルパン三世』初代TVシリーズ第1話が放送される運びとなった。このように、前節で述べた通り「ルパン」のTVアニメを最初に作ったのはよみうりテレビ、ひいては大阪であり、今のアニメ作品としてのルパンの礎を築いたと言えるだろう。

 

■休みのお昼は……

 そんな大阪発であるはずの「ルパン」の新作を、関西圏では放送しないのである。もっとも、これに関してはキー局(※4あってのネット局(※5と考え方がほとんどであり、更には深夜枠での放送の場合、いくら「ルパン」とはいえ視聴率もゴールデンと比較してガタッと落ち込むだろうし、そのようなリスクを背負ってまで全国ネットで放送したりはしないというテレビ局側の放送事情がある以上、それが分からないワケでは無い。しかし、だ。それでも関西のテレビに「ルパン」が映らない事に対しては、やはり、と言うか当然ながら憤りを禁じ得ない。何故なら、関西のテレビに「ルパン」は欠かす事の出来ない重要なファクターだからである。

 筆者は現在25歳だが、幼稚園から小学校高学年にかけて、日曜のお昼には必ず「ルパン」の初代ないし第2シリーズが再放送されていた。それも1回きりの再放送では無く、最終回が終わるとまた第1話からスタートするという全話ループを、実に10年近く繰り返していたのである。もしこのエッセイの読者の中に筆者の同年代もしくは30代前後で、当時関西に住んでいた方がおられたら是非思い返してみて頂きたい。当時の関西の土曜のお昼は吉本新喜劇、日曜のお昼は「ルパン」ではなかっただろうか。筆者はまさにこの現象の直撃世代で、月曜に学校に行くと朝の話題はほぼ決まって昨日の「ルパン」であった。

この事はWikipedia(※6にも掲載されており、関西における一種のムーブメントであったと言っても、決して過言では無いだろう。また、この再放送の高視聴率をキッカケとして、その後TVスペシャルの製作が決定し、TVアニメ化40周年を過ぎた現在でも人気作品の一つとして新作が作られている。にもかかわらず、今回関西で「ルパン」の新作をテレビで見る事は出来ないのである。現在の看板コンテンツを作ったよみうりテレビに対して日本テレビは足を向けて眠れないだろうに、何とも酷い仕打ちである。

 

■「ルパン」未放映から見えてきたモノ

 ところで、今回の関西における「ルパン」未放映を通して、ある考えが思い浮かんだ。メディアコンテンツ視聴の地域的差異についてである。

 メディアコンテンツをテレビで配信する場合、配信コンテンツの選定は主にキー局が行うのだが、地域の独自色が強いコンテンツや実験的なコンテンツは全国ネットでは放送されず、もっぱら一種のローカル番組として配信地域を限定した形で主にネット局で放送される。これが、地域によって視聴可能なコンテンツ(テレビの場合は番組)が異なる主な理由である。ローカル番組と言うと聞こえが悪いかも知れないが、仮に視聴率が好調な場合、『水曜どうでしょう』のように全国ネットでの放送に移行するコンテンツとなるケースもある為、一種の実験としては有効な手法であると考えられる。

だが、少し考えてみて欲しい。今述べた事は配信コンテンツによって地域性や独自色が表されているという事だが、これを言い換えると、コンテンツを配信しない事によって地域性や独自色が打ち出されている、と言う事が出来る。通常、地域間の差異や地域の独自性について考える場合、例えば観光資源のように「この地域にはあるが他の地域には無いモノ」をメインに考える。しかし、今回の「ルパン」未放映によって見えたのは「この地域には無いのに他の地域にはある」という状態である。つまり、とある対象が無い事が、とある対象がある事と同じように地域性や独自色を示す要因の一つとなっている可能性があるのではないだろうか。これは言ってしまえば一種の格差なのだが、しかし独自色も言ってしまえば一種の差異であり「格差」である。つまり、差異を肯定的に捉えれば独自色であり、否定的に捉えれば格差であると、単に受け捉え方の違いでしか無い。もっとも、確かによみうりテレビの返答にあったように、オンデマンド配信を視聴する事によってこの格差を解消する事は出来るだろう。だが、オンデマンドはオンデマンドであり、テレビ放送では無い。メディアコンテンツ格差が一部で叫ばれて久しいが、今回の「ルパン」未放映は、コンテンツが配信されない事もまた独自色の一種であるという事を、皮肉にも格差によって表しているとは言えないだろうか。

 

■ヤツ(日テレ)はとんでもないモノを盗んでいきました

 筆者は元々都市間における地域的差異について多角的に研究している身だが、今回の出来事をキッカケに自分の大好きな「ルパン」を通して、建築物や食文化といったモノ以外にも、実はメディアによっても地域的差異を考える事の出来る可能性を掴めたように感じる。読者の方々の中には「たかがテレビ番組の事じゃないか」と思う方もおられるかもしれないが、しかし笑うなかれ、である。仮に『水曜どうでしょう』が北海道で放送されなかったら道民は間違い無くキレるだろうし、大阪ネタで言えば『じゃりン子チエ』が大阪でもし放送されなかったら、恐らく相当数の大阪人はキレたであろう。このように考えると、地域的差異を考えるにあたって、やはりメディアコンテンツの存在はバカに出来ないのである。今回はたまたま自分の大好きな「ルパン」が関西と縁深いコンテンツだったから取り上げたが、実は「ルパン」以外にもメディアコンテンツによる格差を表す事例が他にあるかもしれない。もしこのエッセイをキッカケとして読者の方々に地域的差異について考えて頂けたのならば、筆者としてこれ以上の幸いは無い。

そろそろ筆を置こうと思うが、最後に一言だけ言わせて欲しい。442554分、大阪で産声を上げたアニメ版「ルパン」はこの日、間違い無く東京に盗まれたのである、と。

 

1:日本テレビ系列の準キー局、関西では通称「10チャン」と呼ばれている。

2BS2(現:BSプレミアム)でスペシャル版「とことん!ルパン三世」として2008728日~731日に四夜連続放送された。

3:テレビ企画売込み用に製作される一種の宣伝番組の事。ちなみに「ルパン」のバイロットフィルムはニコニコ動画http://www.nicovideo.jp/watch/sm42299)で現在シネマスコープ版が視聴可能である。

4:テレビの系列ネットワークにおいて、中心となるテレビ局の事。

5:一定の地域限定で放送を行うテレビ局の事。ローカル局とも言う。

6Wikipediaの「ルパン三世 (TV2シリーズ)」のページ内、「評価・影響」の項目を参照されたし。

 

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論考・エッセイの寄稿に関する規定(H24.6.21)

「都市科学研究会ブログ」への論考・エッセイの寄稿規定(平成24年6月21日)

対象ブログ:都市科学研究会ブログ(http://toshikagakuken.hatenablog.com/)

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【具体例】論考→レビュー①→応答①→レビュー②→応答②(ここまで)

 

②寄稿された記事は、記事タイトルの先頭文に【論考】・【エッセイ】・【レビュー】・【レビュー応答】・【書評】のいずれかを付し、末尾に()付きで筆者名を記載する。

(例 1)【論考】都市に関する一考察(筆者:A)

(例 2)【レビュー】「都市に関する一考察」について(筆者:B)

(例 3)【レビュー応答】B 氏のレビューに対する反論(筆者:A) 

 

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